優れた市民憲章とは


 平成21年(2009)11月3日現在、全国で667の都市に市民憲章の制定されていることが確認されているが、これまでに制定された「市民憲章」(区民憲章・町民憲章・村民憲章を含む)の総数は1500を上回るものと推定される。
 それらの「市民憲章」の多くは、市制の区切りとなる時期(市制1周年・3周年・等々)に制定され、それぞれの都市の歴史・風土・文化・産業や制定の目的などを具体的に述べた「前文」とまちづくりに関する肯定的な行動目標を5箇条等で響き良く示した「本文」から成っている。
 特に「本文」は、大半のものが「簡潔である」・「和語が多用される」・「肯定的表現である」という3つの顕著な特徴を持っており、それぞれが日本人の国民性や日本文化の本質に関わる深い内容を含んでいる。
 このような形式と内容を持つ「日本の市民憲章」は、「市民の志を共同誓願的に掲げるという意味における象徴性」・「その都市の市民のみが正しく理解できるという意味における暗号性」・「市民の自発的な善行のイメージを多様に喚起するという意味における演繹性」・「市民のまちづくり活動を促し続けるという意味における起動性」といった明確な特質を備えているが、最近になってそれが「日本人に合ったまちづくりの基盤」として広く理解され始めている。
 因みに、昭和50年(1975)前後をピークとする「第一次市民憲章ブーム」においてすら年間30近くの都市で市民憲章が制定されていたに過ぎないが、平成18年(2006)以降の「第二次市民憲章ブーム」においてはそれを上回るペースで制定されており、全国各地における一般市民の関心と理解が急速に深まりつつある。
 また、近年、数多くの地方都市において「協働のまちづくり」「コミュニティの再生」が重要な施策方針になっており、「市民参加を前提とした真の地方自治」が本格的に模索されているが、それにつれて、「市民の自発的かつ自主的なまちづくり活動の継続性を理念的に担保するもの」としての市民憲章の意義と役割が根本から見直されつつある。
 このような状況の中で、「市民憲章とは何か」あるいは「何故、今、市民憲章か」という従来の一般的な問いに加えて、しばしば、「手本とすべき事例の目安」として、「どのような市民憲章が良い市民憲章か」が具体的に問われるようになってきた。
 そこで、これまでの市民憲章運動の歴史や現在の社会状況も踏まえつつ、「優れた市民憲章の要素」として考えられる点を5つ提示し、今後の「市民憲章の推進活動を根底に据えたまちづくり」の参考資料としたい。
 第一は、「形式や表現に大きな特徴を持っている」ということである。
 先に述べたように、大半の市民憲章は「日本の市民憲章の定型」とも言うべき形式と内容を持っているが、中には、それらと全く趣の異なった著しい特徴を持つものがある。
 そのような市民憲章は、多くの場合、熱い思いが込められたり様々な工夫がなされたりしており、文言の策定に膨大なエネルギーが注がれている。
 従って、文言のインパクトが極めて強く、覚え易いこともあって、何かと話題になることも多いため、市民憲章の存在が市民に広く認知されることになる。
 このような意味において、「形式や表現に大きな特徴を持つ市民憲章」は「優れた市民憲章」であると考えられる。
 第二は、「時代を超えて支持されている」ということである。
 昭和31年(1956)に制定された「京都市市民憲章」を始め、既に120を超える都市の市民憲章が制定後40年を経ているが、そのような長期間、市民憲章を改定することなく、実践の伴った目標として掲げ続け得ることは決して当たり前のことではない。
 従って、長年にわたってそれが可能な市民憲章は、見掛けが地味であっても、深い思索や熱心な検討を経て「そのまちの時代を超えた理想」が提示されたものであると考えられる。
 このような意味において、「時代を超えて支持されてきた市民憲章」は「優れた市民憲章」であると考えられる。
 第三は、「制定時の志が輝きを失わない」ということである。
 数多くの市民憲章の中には、その時の都市や市民の特別な事情を背景とし、制定に関わった人々の「際立って強い思い」の込められたものがある。
 例えば、広島市の「市民道徳」は、到底洗練された市民憲章とは言い難いが、被爆後僅か5年足らずの昭和25年(1950)4月に制定されたものであることを思えば、「強い信念をもって平和のためにつくしましょう」という最初の文言に込められた思いには今以て胸に迫るものがあり、どのようなことがあっても当時の広島市民の志を無にしてはならないという気持ちが湧き上がってくる。
 すなわち、制定時の高い志の込められた市民憲章は、長い時を経ても市民の心を打ち、先人の志を受け継ごうという強い意志を喚起する。
 このような意味において、「制定時の志が輝きを失わない市民憲章」は「優れた市民憲章」であると考えられる。
 第四は、「誠実な実践活動の基になっている」ということである。
 市民憲章の本来の役割は、「簡潔で肯定的な行動目標を唱えることにより、一人一人の市民が、その時自分にできる良いことを思い浮かべ、それを自らの意志と力で実行する」という局面を増やしていくことである。
 しかし、残念ながら、もっともらしい文言を並べた市民憲章を制定しただけで、実践を前提とした推進活動が何もなされていないといった「市民憲章の存在価値を貶める事例」も少なくない。
 従って、様々な方法で市民憲章の存在を市民に知らせる努力をし、声に出して唱える機会を設けて、組織的かつ継続的な実践活動を続けている都市の市民憲章については、そのような事実自体に大きな価値があると言える。
 このような意味において、「誠実な実践活動の基になっている市民憲章」は「優れた市民憲章」であると考えられる。
 第五は、「地方の新しい歴史を切り拓きつつある」ということである。
 「平成の大合併」によって新たに誕生した都市の市民憲章を始めとし、近年制定された市民憲章の多くは、大なり小なり「市民憲章を基にしたまちづくり」を意識して制定されている。
 しかし、制定に関わった人達が「日本の市民憲章」の何たるかを十分承知していないと思われる都市においては、市民に「市民憲章」と「総合計画」・「都市宣言」・「自治基本条例」などとの違いや関係が明確に示されず、制定後数年を経ても、推進活動の始められる気配が無い。
 そこで特に重要なことは、今後の日本のまちづくりを展望した場合、「市民憲章はまちを明るくし、自治基本条例はまちを暗くする」という基本認識が不可欠であるということである。
 従って、少なくとも、市長が「市民憲章はまちづくりの憲法である」などという陳腐で浅薄な認識しか持たず、市民憲章と自治基本条例の本質的な相異も弁えていないような都市においては、到底「日本人に似つかわしい明るいまちづくり」が展開されるとは考えられない。
 蓋し、「市民憲章の推進活動を根底に据えたまちづくり」「21世紀の日本の地方都市の最も望ましいまちづくり施策」であり、そのような位置に据えられた市民憲章は地方都市の明るい未来を切り拓くものとして大いに期待される。
このような意味において、「地方の新しい歴史を切り拓きつつある市民憲章」は「優れた市民憲章」であると考えられる。


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