市民憲章とまちづくり


(はじめに)
 1960年代の後半から、従来の「都市計画」とは発想・視点・理論・目的・主体・対象・制度・手法等が根本的に異なった「まちづくり」が提唱されるようになった。
 これらは本来、相互に補完し合うべきものであると考えられるが、それまで行政や研究があまりに「都市計画」に偏っていたため、それに替わるものであるかのような装いで、市民参加を前提とした「まちづくり」の主張や実践が各地で展開されてきた。
 特に、1992年の都市計画法の改正で都市マスタープランの作成に住民の意思が反映されることになって以降は、市民参加のまちづくりの動きが各地で活発になり、参加手法や参加形態の研究や実践を通して様々な可能性が模索されてきた。
 一方、行財政の構造改革と地方分権の流れの中で、「都市計画」や「まちづくり」に関わる裁量権限が市町村に委譲されつつあり、広域行政を前提とした市町村合併の推進と併行して、まちづくり条例や自治基本条例といった地域主体の法制が検討されているが、多くの場合、そこでも市民参加がうたわれている。
 しかしながら、これらの活動が数多くの市民によって広く担われているかというと、必ずしもそうではなく、市民参加のまちづくりに参加する市民の実態は「たまたま参加し得る状況にあるごく少数の市民」や「利害の当事者として参加せざるを得ない特定の市民」に限られていると言っても過言ではない。
 このような状況の中で、「市民の参加意欲の喚起要因」・「市民の合意目標となるべき価値」・「市民と専門家とのコミュニケーションの条件」・「市民の継続的努力の方策」等の問題は何れも極めて重要な意味を持っているが、日本の市民憲章はそのような問題の解決につながる有効かつ具体的な糸口を与えてくれるものであると考えられる。
 本考察においては、このような認識に基づき、市民参加のまちづくりにおいて市民憲章が果たし得る役割を明らかにする。

1.日本の市民憲章について
[海外の憲章と日本の憲章]
どのような内容の事柄が「憲章」(charter)の形で示されるかは、国によっても時代によっても異なる。
例えば、イギリスを中心とする西欧社会においては、市民社会を前提とした諸々の約束事が「憲章」という形式で示され、古くは「大憲章」[Magna Carta](1215)に始まり、「人民憲章」(1837)、「国際労働憲章」(1919)、「ウェストミンスター憲章」(1931)、「大西洋憲章」(1941)、「国際連合憲章」(1945)、「国際労働機関憲章」(1946)、「国際連合人権憲章」(1966)などと続くが、何れも歴史的な意義や影響力の大きなものが少なくない。
 最近では、自由と権利に関する内容をケベック州の州法として定めた「人権と自由の憲章」(カナダ、1975)、納税者の権利を法制化した「納税者憲章」(イギリス、1986)・「納税者憲章」(フランス、1987)・「納税者権利憲章」(韓国、1997)、公共サービスに関する6つの原則を示した「市民憲章」(イギリス、1991)、などが注目すべき憲章であるが、これらの他、アメリカには各都市の自治行政に関する条例的な規定として「ホームルール憲章」[内政自治憲章]があり、ヨーロッパには諸国に共通した地方自治の原則を規定した「ヨーロッパ地方自治憲章」(1988)がある。
 このような海外の「憲章」(charter)の大きな特徴は、為政者と市民の間に取り交わされた「契約」(contract)という意味合いが強く、時には法律に近い意義と分量を持つということである。
これに対して、日本においては「charter」の訳語として認識されている「憲章」という言葉自体に馴染みが薄く、寧ろ歴史的には「のり」[憲・法・規・則・範]あるいは「おきて」[掟]という言葉の内容の方がそれに近かったと考えられる。
 近代国家として出発した明治以降も、思想的な信条や実践的な目標が「憲章」という形態で示される伝統は長い間定着せず、唯一の古典的事例と言うべき内容を持つものは明治政府が明治天皇の名の下に公布した「五箇条の御誓文」[Charter Oath](1868)である。
  (五箇条の御誓文)
一.広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スヘシ
一.上下心ヲ一ニシテ、盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一.官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ、人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一.旧来ノ陋習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クヘシ
一.知識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起スヘシ
我国未曾有ノ変革ヲ為ントシ、朕躬ヲ以テ衆ニ先ンジ、天地神明ニ誓ヒ、大ニ斯国是ヲ定メ、万民保全ノ道ヲ立ントス 衆亦此旨趣ニ基キ恊心努力セヨ

 太平洋戦争の後も昭和45年(1970)頃まで「市民憲章」以外には「憲章」という名称で定められたものが殆ど無く、恐らく日本国憲法の精神に基づいて昭和26年(1951)5月5日に定められた「児童憲章」が最初の憲章らしい憲章である。
 このような事例からも分かるように、日本の「憲章」の特徴は、「然るべき立場の者が望ましい結果を念じ行動の目標を神に誓う」といった「誓約」(oath)という意味合いが強いところにあり、そこには「のりと」[祝詞]の発想に近いものがある。
 ここで確認しておくべき重要なことは、本来、法律や「契約」は「起き得る悪いこと」を想定して定められることが多く、祝詞や「誓約」は「望み得る良いこと」を想定して定められることが多いということである。
  このような事情は、欧米の市民憲章が「市民の(悪い)行為を制約する」という否定的な側面を持ち、日本の市民憲章が「市民の(良い)行為を喚起する」という肯定的な側面を持つことを示唆している。

[日本の市民憲章の形態と内容]
 平成16年4月現在、日本には600余の「市民憲章」が制定されているが、それらの大半は形態的にも内容的にもかなり明確な共通の特徴を持っている。
 そこで、そのような市民憲章の典型的な例として札幌市の市民憲章を示し、それに基づいて日本の市民憲章の特徴を確認する。
  (札幌市民憲章) [昭和38年11月3日制定]
わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。
わたしたちの札幌市は、雄大な自然と、たくましい開拓精神をもってきずかれ、大きく発展しつづけている希望のまちです。
わたしたちは、このまちの市民であることに誇りをもち、たがいのしあわせをねがい、よい市民となるため、ここに市民憲章をさだめます。
 元気ではたらき、豊かなまちにしましょう。
 空も道路も草木も水も、きれいなまちにしましょう。
 きまりをよくまもり、住みよいまちにしましょう。
 未来をつくる子どものしあわせなまちにしましょう。
 世界とむすぶ高い文化のまちにしましょう。

この札幌市民憲章の例からも明らかなように、日本の市民憲章は、大半のものが「題」(あるいは、名称)・「前文」(あるいは、序文)・「主文」(あるいは、本文)の3つの部分から成る。
まず「題」であるが、圧倒的に多いのが「A市」の市民憲章が「A市民憲章」となっているものであり、いくつかのものは「A市市民憲章」あるいは単に(A市の)「市民憲章」としている。
次に、「前文」であるが、最も多いのは、市町村の地理的・歴史的特徴、誇るべき点、制定の目的、制定の事情、などを簡明にまとめたものである。但し、前文が全くないものや市町村の歩み等を長々と書き綴ったものもある。
更に、「主文」であるが、和語(大和言葉)を多用した分かりやすい日本語で簡潔に書かれたものが多く、法的な規制力を意識して詳細かつ体系的に書かれているものは一例も無い
 主文は、条文の前に数字や番号が付けられているものも付けられていないものもあるが、全体の99.0%が箇条書きまたはそれに類する定型で書かれている。
 その場合の主文の条項数は、3箇条・4箇条・6箇条のものなども僅かながらあるが、圧倒的に5箇条のものが多く、全体の87.4%を占めている。これは、日本の市民憲章の源流が「五箇条の御誓文」にあることの有力な根拠である。
一方、日本の市民憲章の中には、不定型で一編の現代詩とでも言うべき文学性の高いものもある。それらの例外的事例の中で最もユニークであると思われる市民憲章は岩手県北上市のものである。参考のため以下にその全文を示す。
  (北上市民憲章) [平成4年1月5日制定]
あの高嶺 鬼すむ誇り
その瀬音 久遠の賛歌
この大地 燃えたついのち
ここは 北上


[市民憲章の推進活動]
 市民憲章が単なる「飾り物」でなく、その内容が具現化されるためには、市民憲章の推進活動として行政主体の広報活動と民間主体の推進運動とが特に重要であると考えられる。
 まず、行政主体の広報活動であるが、市民憲章が一般の市民に認知される媒体としては、市の広報冊子類と公式ホームページが最も基本的なものである。市の広報冊子類には、「暮らしの便利帳」(あるいは、「くらしのガイドブック」など)、「市報」、「市勢要覧」などがある。
 このうち、最も多くの市民の目に触れていると考えられるのが「暮らしの便利帳」であるが、市民憲章は、殆どの場合それの最初または最後のページに、市章・市の花・市の木・市の歌・都市宣言などと一緒に掲載されており、「市の憲法」と言うよりも寧ろ「市の象徴」といった扱われ方が一般的である。
 全国の都市のホームページ(市が運営する公式のもの以外のものも含む)は、平成16年4月の時点で718市(東京23区を含む)の全てで開設されており、市民憲章は「市の概要」・「市のプロフィール」・「市のシンボル」といったページに掲載されているが、「暮らしの便利帳」をそのまま画面化したようなものや単に字句だけを示したものもあれば、事細かに解説を施したり美しい写真を背景にデザインしたりしたものもあり、様々である。
 これら以外の行政主体の広報活動としては、市役所の入り口付近や公園内に市民憲章の石碑を設けたり、市民憲章に英語版を付加したり、公式行事おいて市民憲章を唱和したり、市役所の封筒に市民憲章を印刷したりすることなどが行われており、小学校の社会科の副読本として用いている例もある。
 次に、民間主体の推進運動であるが、市民憲章にはまちの理想像が空間的なイメージで示されているだけでなく生活レベルでの継続的努力目標も示されているので、その主旨や精神が具現化されるためには、本来いろいろな形での「継続的運動」が必要になる。
 このような運動は一般に「市民憲章運動」と呼ばれ、各地でいろいろな組織の実践活動の一環として行われており、大都市ではやや低調なきらいがあるが、小規模な地方都市などでは堅実かつ定例的に継続されていることが多い。
 因みに、このような運動は、元首相・鳩山一郎の提唱によって昭和31年(1956)に設立された財団法人・新生活運動協会の「新生活運動」の活動主旨と符合する点が少なくない。<BR>  新生活運動協会は、その後昭和57年(1982)に「あしたの日本を創る協会」(Association of creating future Japan)と名称を変更し、運動の総称も「ふるさとづくり運動」とすることによってますます市民憲章やまちづくりとの関係を深めている。
 「あしたの日本を創る協会」は、全国生活学校連絡協議会・地球環境を守る国民運動全国会議・あしたの日本を創る運動全国大会を主催する他、全国市民憲章運動連絡協議会の事務局を担当している。
 「市民憲章運動」の活動の具体的な例として最も多いのは「美しいまちづくり運動」・「花いっぱい運動」などの美化運動であるが、これは、近年の環境問題に対する市民の意識の向上にも後押しされ、広い年齢層に広がりつつあるように思われる。
この他、市民憲章に関する標語・写真・作文・図画・版画・年賀状などのコンクールを毎年行っている例も少なくないし、絵はがきカレンダーを作っている例もある。
 中でもユニークな試みをしているのは島根県松江市であり、20年以上も前から「市民憲章かるた」なるものを地道に普及させきて、平成11年(1999)にはそれを22年ぶりに更新した。
 また、「市民憲章の日」を設けてアピールしたり、「市民憲章だより」を定期的に発行したり、市民憲章の推進に功労のあった人を顕彰したり、市民憲章に関するセミナー公開講座を開催したりと、文字通り様々な活動が展開されている。
 ここで特筆すべきことは、近年、市民憲章が生涯学習のテキストとして用いられたり、地域の文化遺産発掘の契機になったりする事例が増えつつあるように思われることである。
 今後、このような活動がまちづくりにおける行政と市民のパートナーシップを意義のあるものにしていくのではあるまいか。


2.まちづくりにおける市民憲章の可能性
[まちづくりの2つの側面と市民憲章]
言うまでもなく「まちづくり」とは、「よいまち」を「つくる」ことであるが、そこには注意すべき点が2つあると考えられる。
一つは、求めるべき「よいまち」という概念の解釈が一般生活者としての市民と設計の専門家である建築家や都市計画家とでは大きく異なるということである。
 すなわち、市民から見た「よいまち」というのは状況概念であり、「まち」は日々「よい」か悪いかの判断対象となる
 従って、劣悪な環境であっても「住めば都」といった肯定的な価値判断のなされることもあれば、一日ゴミが回収されなかっただけで嫌なまちになってしまうこともある。
 これに対して、建築家や都市計画家から見た「よいまち」というのは形態概念であり、理想像に近い形で実現されたものが「よいまち」になる
 従って、計画が成功したと見なされ、一旦「よいまち」であると判断されたものについては容易なことではその価値判断が変わらない。
 このような解釈のずれは微妙に価値観のずれとなって現実的な「まちづくり」への対応の差を生むことになり、場合によっては、建築家や都市計画家が実現したい「よいまち」と市民が望んでいる「よいまち」とが全く異なるものになることすらあり得る。
今一つは、「つくる」ことの本質がともすれば建設や製造という意味に矮小化されがちであるということである。
 本来「つくる」という和語は「新しいものや新しい状況等を出現させる」という意味と「意図的な努力によって特定の状況を実現する」という意味を持っているが、多くの場合、前者の内容については常識的に適切な目標設定がなされ、時によっては利益設定までが可能であるため、困難の生じることが少ないのに対し、後者の内容については自らの主体的な行為が要求され、時によっては金銭や時間の犠牲を強いられるため、様々な理屈を付けて回避されがちである。
 従って、「つくる」ことが目標にされる場合は常に、前者の内容のみが強調され建設や製造が全てになってしまう危険がある。
これらのことから帰結されることは、「よいまち」を「つくる」という目標が達成されるためには、例えば、建築家や都市計画家といった専門家の集中的な努力に負う側面と、一般生活者としての市民による継続的な努力に負う側面とがあるということである。
 このように「まちづくり」には2つの側面があり、どのようなプロジェクトにおいてもその両者のバランスが重要であるということになるが、市民憲章はこのバランスを分かり易く示している。
 殆どの市民憲章には、まちの理想像が掲げられ空間環境的な達成目標が示されると同時に、個々人の生活が快いものになるための社会生活的な努力目標が示されており、例えば、「明るいまち」・「美しいまち」・「住みやすいまち」・「みどり豊かなまち」などという表現で理想とする都市像が述べられ、「助け合い」・「思いやり」・「きまりを守る」・「文化の香り」などという表現で生活の規範や方向が述べられている。
 従来、まちづくりの関心が環境や施設を整えることに集まりがちであったように思われるが、市民の継続的な努力を前提としたまちづくりの健全さは、市民憲章の内容を通して市民の望む「よいまち」を確認することにより、常に保たれると考えられる。

[まちづくりの局面と市民憲章]
 一般生活者としての市民がまちづくりに参加するということを現実的に見た場合、まちづくりの様々な局面において市民憲章の果たすべき役割は決して小さなものではないと考えられる。
 この点は、建築家や都市計画家といったまちづくりの専門家にとっての市民憲章の意義とは明確に区別されなければならない。
 何故ならば、専門家と市民のコミュニケーションは、発想・表現・用語・知識・制度・コスト・事例・等々、専門家が当たり前のこととして了解していることを、市民に分かり易く簡潔に伝えることから始まるからである。
 以下「発意」・「計画」・「実施」・「維持」といったまちづくりの基本的な4つの局面について、まちづくりに参加する市民の状況や立場を踏まえ、市民憲章の可能性を考察する。
 第一に、「発意」の局面であるが、これは、例えば、「何故このまちを良くしなければならないのか」・「何故自分がこのまちのまちづくりに関わらなければならないのか」といった根源的な問いと対峙する局面であり、実は、専門家にとっても重い局面である。
 この局面において、多くの市民は「日々の仕事に追われて余裕が無いので、自らの直接的な利害や安全に関すること以外はまちづくりの専門家にでも任せておけばよい」という態度を採りがちであるが、このような態度には相応の妥当性がある。
 従って、このような根源的な問いが議論のテーマになることも稀であり、誰もが心から賛同できる答えが出されることも稀である。
 また、社会的責任や法律的義務を声高に述べ立てて参加を強要しても、多くの市民がまちづくりに自主的かつ積極的に参加するとは思えない。それが現実である。
 しかし、市民憲章が一旦意識されれば、程度の差こそあれ、自らが居住している市というものに対する関心は芽生えることになり、更に、回りの人たちと同じ空間で生活しているという感覚が生まれたとき、心が「よいまち」に向くと考えられる。
 ここで、特に重要なことは、市民憲章は難しいことを述べている訳でもないし、大層なことを強制している訳でもないということである。
 すなわち、市民憲章は、市民がまちづくりに踏み出す際の自然で素直な第一歩を快く用意してくれると考えられる。
第二に「計画」の局面であるが、これは多くの場合、具体的で差し迫った問題を解決する必要のある局面である。
 例えば、道路や下水道の整備、商店街の活性化、病院や文化会館の建設、災害時の避難場所の確保、歴史的建造物の保存、などということが計画の目標であることもあれば、市の施設の有効利用、生涯教育のプログラム、ゴミの処理、河川の浄化、樹木や花の植え込み、子供のリクレーション、老人介護の近隣協力、などということが計画の目標になることもある。
 これらの場合、問題の解決に専門的知識や多額の費用が必要なものとそうでないものとがあり、その何れかによって市民の関わり方が異なることに注意しなければならない。
 何故ならば、前者については、例えば、都市計画家・建築家・弁護士・税理士などの専門家を含めたグループでの高度な学習が必要であるが、後者については殆どの場合若干のトレーニングをすれば一般生活者としての自覚と能力で十分であるからである。
 特に後者については、これまで問題にされることが少なかったが、計画者(計画する人間)と計画対象者(計画の対象となる人間)が重なるという点においても、計画の結果に関わる人間の延べ人数が膨大であるという点においても重要である。
 この局面において、市民の最も好ましくない態度は、何もかも専門家に任せ、愛情と僅かな意志さえあれば簡単にできることからも逃れようとすることである。
 しかし、市民憲章は、専門家に対しても市民に対しても求めるべき価値を明確に示すものであるが故に、専門家の誤った価値判断に対する市民の異議の根拠としても機能し得るものであり、また、日々の生活に疲れた市民をプラス思考で鼓舞するものでもある。
 すなわち、市民憲章は、まちづくりに関わる諸々の計画が市民の手の届かないところで進められることの歯止めとして重要な意義を持つと考えられる。
第三に「実施」の局面であるが、これは計画の内容が全て現実化される局面であるから、当然のことながら「計画」の局面で見えなかったことや棚上げされていたことも露呈することになり、市民がはっきり「好ましくない」と判断できる状況が現実のものとなることも十分あり得る。
 例えば、開発や建設に関する計画の実施でしばしば問題になるのは「悪影響の問題」と「予想外の負担の問題」であるが、このようなことが現実に起きた場合、市民がその計画の修正や是正に関わることは極めて難しい。
 特に、現在の日本の社会状況においては、民主的な手続に則って決定されたことに基づく不都合や不条理を覆すことは実質的に不可能であると言っても過言ではない。
 しかし、市民憲章は、主張が単純明快であるが故に、市民がまちづくりの対象の当事者として受け入れ難い状況を拒む際の究極的な支えとなり得る
 何故ならば、どのような事情があるにせよ、市民を苦しめることを是認する市民憲章はあり得ないからである。
 また、市民の生活や活動に関する計画では「実施」がそのまま「運営」を意味するため、市民の中に多数「運営責任者」を要することになるが、多くの場合、一部の人間の善意や献身によって良好な状況が維持されているという現実にも留意すべきである。
 しかし、大半の市民が職業や仕事を持っている以上、無報酬で多くの時間や労力を提供するというシステムには明らかな限界がある。
 従って、市民は地域社会への貢献という観点で互いに負担を分担し合うことが不可欠であるが、その際、市民憲章は、隣人と地域愛を共有することによって得られる「よいまち」を前提にしているため、個々人の負担意識をある種の充実感や達成感に変えてくれる可能性がある。
第四に「維持」の局面であるが、これは計画し実施されたものを好ましい姿で持続させるという意味だけでなく、必要に応じて改良や更新もしなければならないし、また、場合によっては終結もしなければならないことを意味する局面である。
 これらの判断において市民の評価が大きな根拠になることは言うまでもないが、その基準となるものは市民憲章である。
 そして、万が一市民憲章に基づく判断が現実からあまりに乖離したものになるようであれば、その際は市民憲章の改定を視野に入れて市民が徹底的に話し合う場が設けられることになる。
 特に、市町村の基本計画や都市マスタープランにおいて、その策定段階では市民の意見を取り入れることが珍しくないが、評価段階では主体も基準も明確に示されることが極めて少ない。
 従って、このような意味においても、市民にとって、市民憲章が半永久的な価値目標を示していることの意義は大きいと考えられる。
以上のようにしてまちづくりの4つの局面を見た場合、全ての局面を通して、一般生活者としての市民がまちづくりに参加するためには2つの大きな前提の望まれることが了解できる。
 すなわち、一つは「自分の住むまちに対する肯定的な関心」であり、今一つは「縁あって近くにいる者が互いに支え合うという運命的意識」であるが、この2つは、何れも市民憲章の精神そのものである。

(おわりに)
 以上の考察から、日本においては、市民憲章が市民参加のまちづくりの好ましいあり方を示し得るものであると同時に、市民によるまちづくりの活動に明確な根拠を与え得るものであると考えられる。
 日本の市民憲章は、文言の吟味・決定に多くのエネルギーが費やされていながら最終的な表現が簡潔であるため、理念的かつ抽象的な印象が強く、都市計画やまちづくりとは具体的な関係のないある種の「飾り物」と受け取られがちであったが、特に、一般生活者としての市民がまちづくりに参加する際の動機とまちづくりのための継続的努力の根拠として極めて大きな意義を持つと思われる。
 また、今後も、市町村合併によって新しい市が誕生するケースの増えることが予想されるが、その場合、新しい市民憲章の制定過程を通して、市民の求めるべき価値およびそれに規定される行為が再確認される可能性は極めて大きいと考えられる。

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