地域経営における日本的基盤としての市民憲章
(2010.5.30)


【目  次】

(まえがき)

    1.「地域」が抱えている今日的問題 

2.地域経営に求められる計画哲学的視点

    3.日本的基盤としての市民憲章 

(あとがき)




(まえがき)

 「平成の大合併」が一段落した現在、全国各地で「地方分権を視野に入れた広域行政」の成果が検証されつつあるが、少なくとも主要日刊紙による調査や分析を見る限り、行政に関わる人々や住民の様々な努力にもかかわらず、「地域」の行財政は益々厳しいものになっている。
 このような状況における現実的な議論は、具体的になればなるほど詳しさと険しさを増すのが常であり、ややもすると「木を見て森を見ず」ということになりかねない。
 また、あまりにも当たり前すぎて話題になり難いという理由によって、重要な事実が見落とされてしまうことも少なくない。
 そこで、本稿においては、地域経営に関わる本質的な問題について「そもそも」というレベルに立ち返ることにより、筆者の専門とする「計画哲学」の立場から、発想の転換を促すような「新鮮な視点」を提供したい。
 なお、「地域経営」に関して所説を述べる場合、本来ならば、始めに「経営」の対象である「地域」が何を指すのかを明確にしておくべきであろうが、筆者の知る限り、専門家の間においても厳密な意味は定かではない(註1)。
 従って、本稿においては、「地域」について、舞台が日本国内であること、「中央」に対する「地方」が意識されていること、「都市」・「農山村」・「都道府県」・「市町村」・「まち」・「コミュニティ」などが包括的に含まれていることの3つを前提とし、やや緩やかな意味で用いることにする。


1.「地域」が抱えている今日的問題

   1)「生業」の問題
 現在の日本の「地域」は様々な問題を抱えているが、何と言っても、最も深刻な問題は「地域の住民が今後どのようにして生きていくのか」という意味における「生業」の問題であろう。
 この問題について考える場合、典型的かつ代表的な事例として、「農村と言われる地域の住民が戦後どのようにして生きてきたのか」を振り返ってみることが有力な手掛かりになる。
 これまで多くの人々に指摘されてきたことであるが、戦後の産業構造の変化によって、最も大きな影響を受けてきたのは農村である。
 特に、「米作による収入が生活を支え得なくなった」ことと「若者が都会へ流出し続けた」ことは農村の様相を確実に変化させた。
 「3ちゃん農業」という言葉に象徴される「農業の危機」が叫ばれ始めてからは、「耕地面積の拡大」・「肥料の改良」・「反当たり収量の増加」・「農作業の機械化」などといった古典的な努力目標も揺らぎがちになり、農業従事者の「生業としての農業」に対する信頼感が急速に失われてきたことは周知の事実である。
 このような背景から「脱農業」が農村の切実な課題となり、観光業や建設業が「農村の新たな主産業」になったり、諸々の地場産業の育成が模索されたりしてきたことは明白である。
 また、農業を副業とすることによって「厳しい労働条件」を凌ぎ得た職業(例えば、伝統的な技能を継承する職人や給与水準の低かった地方公務員)が専業化せざるを得なくなったことも決して見逃し得ない。
 これらのことは、「本来農業国家であった日本が持っていた日本らしさ」が、多くの農村から消えていくことになった事情を如実に物語っている。
 少なくとも、一時代前の農村や農民が持っていた「厳しい農作業」・「利害を超えた助け合い」・「頑健な体」・「忍耐力」・「純朴な気風」・「広い家や庭」・「温かい大家族」・「質実な生活」・「少ない刺激」・「乏しい娯楽」・「豊かな自然」・「動植物との共生」・「きれいな空気」などといったイメージは、疑いなく過去のものになりつつある。
 一方、これまであまり指摘されてこなかったことであるが、日本の社会を「生業」という観点から見た場合、「自営業」(個人営業・個人商店・一人親方など)が減少し、圧倒的に「勤め人」(公務員・会社員・団体職員など)の占める割合が増えている。
 この「一億総サラリーマン化」とでも言うべき社会現象は、「少子化」や「高齢化」の陰に隠れている観があるが、実は重大な問題を抱えている。
 すなわち、「組織に属することによって生活している人間」が増えれば増えるほど、社会では「組織の論理」が優先されることになり、多くの人間の努力目標が「組織を守る」ことになるということである。
 このような傾向は、かつては大都市において顕著に見られたものであるが、近年は地方の小都市や農村においても明確になりつつある。
 従って、必然的に「個人としての人間の尊厳性」や「個人と個人の人間関係」が片隅に追い遣られることになり、多くの「地域」において、コミュニティが根底から崩壊する危険性を孕んでいる。
 また、「組織から給与を得て生活していた人間」は、しばしば、組織から離れると生業を失って「年金」以外に収入がないことになりがちであるが、「団塊の世代」の男性が続々とリタイアして居住する地域で過ごす時間が増加しつつある現状に鑑みれば、年金格差の問題が住民の地域活動に深刻な陰を落とすことは容易に推測し得る。
 蓋し、「地域住民が今後どのようにして生きていくのか」を考える場合、農業を始めとする第一次産業が「生業」になり得ていないこと、「新たな生業」が模索され続けていること、「組織の論理」(あるいは「業界の論理」)が地域社会を支配しつつあること、日本的な地域生活の習慣や作法が崩壊しつつあること、年金格差の問題が住民主体の地域活動の壁になる可能性があることなどは、何れも重要な前提である。

   2)「行政」の問題
 日本において、行財政改革の国家的必要性が高まるのに伴い、1990年頃から「地方分権」というキーワードの下に「中央」と「地方」の関係が多方面から本格的に見直されてきたことは良く知られている。
 例えば、地域の「行政」に大きな関わりを持つものとして、地方自治法の大改正(1999)や都市計画法の大改正(2000)などはそのような流れを示す代表的な事実であると言えよう。
 また、現在も続いている「道州制」の議論は、「地方分権」という方向性が「地域の行政」に与える影響の大きさと深さを多くの国民に認識させている。
 このような状況において、勿論「地域の行政に関わる諸問題を実務的・現実的・短期的に検討する」ことも重要であるが、そのような立場がしばしば悪しき過去の追認に繋がりかねないことに鑑みれば、改めて「地域の行政の前提となっている事実を根本的に確認する」ことも大きな意義を持つと考えられる。
 ここで特に重要な事実は3つある。
 第一は「行政に関わる地方公務員の仕事の内容が変質してきている」ことである。
 かつて(1960年代頃まで)の地方公務員は、二つの大きな特徴を持ち、一定の公務員像を持っていた。
 一つの特徴は「決まったことの繰り返しが多く仕事が単調である」ことであり、今一つの特徴は「一般企業の会社員等に比べて待遇が悪い」ことである。
 従って、当時の地方公務員は「生まれ育った故郷のため、安い給料に甘んじて、黙々と地味な仕事をこなす人」といったイメージが強く、必ずしも若者に人気のある職業とは言い難かったため、全国各地で人材の確保を目的とした種々の待遇改善策が講じられてきたのである。
 そのような状況において地方公務員に求められる基本的な職務姿勢は「ミスをしないこと」や「法令に従うこと」であったと考えられるが、その後、年を経るに従い、許認可の権限が増すにつれて「不正をしないこと」が求められ、更に近年では、行政主体の事業に関して「企画すること」も求められてきている。
 また、様々な待遇改善がなされたこともあり、近年では、地方公務員が若者に人気の高い職業になっている。
 このような事情により、行政に関わる地方公務員の仕事の内容は、それが良いことかどうかは別として、かつての「ハードな仕事」から「ソフトな仕事」に変質しつつあると考えられる。
 第二は「民主主義に基づく地方行政の仕組みが綻びを見せている」ことである。
 言うまでもなく、地方行政における民主主義の基本的な構図は、住民の意思を反映した選挙によって選出(あるいは承認)された首長と地方議会の議員の意向が役所の職員の業務を通して実現されることである。
 現実的には、圧倒的に多くの自治体において、「首長の意向や指示を受けて職員が計画案や予算案を作成し、それらが議会で承認された後、職員が主体となって実施する」というスタイルが定着しているが、ここには大きな問題が潜んでいる。
 それは、首長に実務的指導能力が乏しく議員に立法能力や政策評価能力が乏しい場合、「地域の行政」については「実質的な立案者と実施者」が共に役所の職員になってしまうということである。
 このような事情は、極言すれば、任免や評価について住民の意思が全く反映されない地方公務員が「地域の行政」を実質的に支配することを意味している。
 また、公務員の労働組合活動が日本国憲法に抵触するか否かの議論はさて置くとしても、「住民(憲法上は「国民」)の意思に背く公務員」や「住民の利益に反する公務員」を雇用者たる国民が解雇し得ない現状には、一般の国民として理解し難いものがある。
 勿論、大多数の地方公務員が「地域」のため日々誠実に職務に励んでいることは重々承知しているが、「地域の行政」における「首長」・「議員」・「役所の職員」などのあり方は、民主主義の原点に立ち返って厳格に見直すべきであろう。
 第三は「行政の評価に関する明確な方策が確立されていない」ことである。
 「行政」の評価に関しては、本来幾つかの「原理的な難しさ」があり、それらは「方法」の問題を超えたものである。
 例えば、「好ましい未来を求めるか、好ましくない現在を改めるか」・「良い結果を求めて努力している者を助けるか、悪い結果を出してしまった者を救うか」・「近い未来の結果を重視するか、遠い未来の結果を重視するか」などといった前提的な立場の違いによって施策の評価は全く異なったものになるが、多くの場合、その時々でどちらの立場が妥当であるかの判断は極めて難しい。
 しかし、近年はそのような「原理的な難しさ」に関する本質的な議論が棚上げされたまま、個々の「事業」の評価について、特定の「方法」の具体化が声高に推し進められている。
 特に、「地域の行政」の現場においては、「科学的行政」の名の下に、「成果主義に基づき、費用対効果を重視した定量評価」という「方法」が恰も「行政評価の憲法」であるかのように幅を利かせている。
 この「方法」については、「成果主義」自体に関する疑問や「定量的評価のための不当な定量化」に対する批判があるものの、議会や住民に対する一定の説得力があるものとして広く採用されている。
 また、かなり以前から、そのような問題に加えて「評価主体」の問題も浮かび上がりつつある。
 すなわち、「地域の行政」に関わる事柄について、「誰が、何を、何のために、どのようにして評価するか」という基本的な図式の中の「誰が」の部分を厳格に吟味しようとするということである。
 このような立場は、会計検査院や人事院を頂点とする「公的評価機関」(あるいは「公的監査機関」)や「議会」に対する不信感や失望感と表裏一体をなしていると思われるが、現在のところは、例えば「オンブズマン」や「納税者の権利憲章」といったものに対する関心に留まっている。

   3)「公共」の問題
 戦後の日本においては、「公共」という概念に関わる関心が様々な図式や言葉を通して示されてきた。
 例えば、「公」(public)と「私」(private)を対峙させる図式は、明らかに戦中の「滅私奉公」という国家主義のスローガンに象徴される「私の否定」を根底から覆すために設定されたものであり、その後しばしば持ち出される「官」と「民」という事業主体の区分もその図式の延長上にあるものと見てよかろう。
 しかし、1970年代の後半あたりから、「共」(common)という概念が建築や都市の現実的状況を説明する概念として用いられるようになった。
 これは、相当な数の「私」が集まった状況の中には「公」と見なされるべきものがあるという主張を含むものであり、民主主義の思想に合致する側面を持っている。
 従って、現在の日本において「公共」の問題を語る場合は、少なくとも「公」・「私」の媒介的概念として「共」が成立したという経緯を踏まえて、諸々のキーワードの持つ意味を吟味する必要がある。
 一方、「地域」における「公共」の問題の中心的な課題は、「社会的課題の解決主体」の問題と「解決方法の承認根拠」の問題に帰着されると考えられる。
 ここでいう「社会的課題」とは、一定の「地域」に住む多数の人間の生活や利害に直結する問題を民主的な手続きに則って解決するということであり、「承認根拠」とは、問題の解決のために選択された方法とその結果を受け入れるべき正当な理由のことである。
 そこで、近年の「地域」のまちづくりにおいて盛んに提示され多くの自治体の施策目標にも掲げられている3つのキーワードを通して、「地域」が抱えている「公共」の問題を眺めてみることにする。
 第一は「市民参加」(citizen participation)である。
 「市民参加」という概念は、少なくとも「行政を専門としない一般の市民が行政に具体的な関心を持つ」ことと「住民が政策の立案や実施に直接関わる」ことを前提としているが、この概念が前提も含め極めてアメリカ的なものであり、日本人の伝統的な感覚に馴染まない部分を持つことは従来あまり指摘されなかった。
 すなわち、アメリカのような「市民の権利意識」が高い社会においては、どのような些細なことに関しても、「施策の影響を受ける市民」(地域住民・利害関係者・ステークホルダーだけでなく、その施策に関心を持つ市民も含む)は、施策の決定主体や実施主体の不正や不合理に厳しい目を向けつつ、十分納得のいく説明を求めようとするが、日本のように「信頼関係」に重きを置く社会においては、多くの市民の意識の中に「難しいことや面倒なことは能力と見識の高い人間に委ねて、自分は自分の仕事に専念したい」という根強い願望がある。
 従って、日本において「市民参加」を問題にする場合は、徒にアメリカの事例を範とするのではなく、日本人の国民性や日本の社会の特質を踏まえて検討すべきである。
 「地域」の現状を概観した場合、「行政のプロ」が全面的に問題解決を委ねるべき能力を持っているかどうかについては必ずしも楽観できないため、日本においても「市民参加」を推進する意義は十分にあると考えられるが、その場合、少なくとも「どのような問題の解決を行政に委ねるべきなのか」・「どのような案件に住民が参加しなければならないのか」といった問い掛けが必要であろう。
 第二は「協働」(coproduction)である。
 「協働」という概念は、「AとBが共に何かをする」という基本的な構造を持っているが、その時の「AとB」が何を指し「何をする」のかということは明確にしておく必要がある。
 例えば「協働のまちづくり」などと言われる場合、一般に「AとB」にあたるものは「行政と市民」であり行為の内容は「まちづくり」であるとされている。
 しかし、具体的な「まちづくり」の内容を眺めてみると、「行政が市民からの委託に基づき税金を使って遂行すべき業務や事業」(総合計画に明示され年度毎に予算化される)と「市民が自らの負担と責任によって遂行する活動」(NPOやボランティアなどによる)とはかなり明確に区分し得るものであり、もしそれらが「共になされる」としたら、多くの場合は「本来行政が遂行すべき業務や事業の一部を市民が無報酬に近い報酬で担う」ことを意味するか「行政の範疇外の活動をしている市民を行政が支援する」ことを意味するかの何れかである。
 従って、「協働のまちづくり」の主体および方法が制度的な妥当性を持つためには、「行政が業務の一部を市民に委任することによって軽減した経費の大半を市民の自主的なまちづくり活動の援助に振り向けなければならない」ことが明らかである。
 第三は「新しい公共」である。
 特別な言葉としての「新しい公共」は、総理大臣に就任した鳩山由紀夫が2009年10月の所信表明演説で用いたものであるが、概念あるいは理念としての「新しい公共」はそれ以前から具体的なモデルや提案を通して示されてきたものである。
 例えば、「地域」における事業主体としての「第三セクター」や活動基盤としての「プラットフォーム」なども「新しい公共」を目指した試みの事例であると見ることができる。
 このような意味における「新しい公共」は、今後も「社会的な意義の大きいサービス」の提供主体を旧来の「官」から「共」と認識し得る「民」へ移行していく際の基幹概念として意味を持ち続けることであろう。
 実際、「医療」・「介護」・「福祉」・「教育」・「子育て」・「防災」・「まちづくり」などの分野において、既に「官立」(あるいは「公立」)の機関が「地域」における主体的な役割を担い切れなくなってきている。
 しかしながら、このような理念に基づく事業が「行政の負担とリスクを軽減し、住民の共同責任的承認を得易い」ものであっても「本来国家や行政には事業性と無関係に実施しなければならない事業があることを見え難くする」ことに注意しなければならない。


2.地域経営に求められる計画哲学的視点

   1)「望ましいもの」と「望ましくないもの」
 昨今の地域経営に関わる議論は、恐らくあまりにも困難な現実に直面しているためであろうが、目前の具体的な問題をどのように解決するかに大半のエネルギーが注がれ、地域経営の根幹に関わるような根本的な問題に言及されることが極めて少ない。
 しかしながら、現実の営為の大半が個々の人間の意志と努力によって進められるものである限り、「そもそも」というレベルの経験的な真理は政策や事業を方向付ける「動かし難い前提」として確認されるべきである。
 また、「経営」を科学的に語ることが当然視されているような社会においては、「人間科学や行動科学では当たり前過ぎて話題にもならない事柄」の中に「大半の人間が経験的な真理として認めている重要な事実」が潜んでいることを思い起こさなければならない。
 このような観点で地域経営を眺めた場合、最も重要であると思われる視点は「望ましいもの」と「望ましくないもの」を改めて整理してみるということである。
ここで、我々が確認すべき経験的な真理は二つある。
 一つは、我々の身の回りには「心の底からそうあって欲しいと願っていること」と「本当はそうでないことを願っているが仕方なく受け入れていること」があるということである。
 例えば、我々は「軍隊」・「警察」・「病院」・「薬剤」・「法律」などといったものを「現実的な必要性」を認めて仕方なく受け入れているのであり、決して心の底から望んでいる訳ではない。
 逆に、「軍隊」や「警察」を必要としないような平和で穏やかな社会、「病院」や「薬剤」を必要としないような元気で健康な生活、「法律」を必要としないような温かい人間関係などは、殆ど全ての人間が心の底から希求している状況であると断言してよかろう。
 特に、「法律の大半が、実は、ない方がよいものである」という視点は極めて重要である。
 従って、そのようなものを必要としないような状況を実現するための努力が最優先されるべきであるが、現在の日本においては、それらのものを増強するための施策や事業すら珍しくない。
 今一つは、我々は多くの場合、「心の底から求めていること」に対しては迷い無く全力で取り組むことができるが、「嫌々すること」に対しては実力の半分も発揮し得ないということである。
 また、我々は多くの場合、結果の良し悪しに関係なく、「心の底から求めていること」に取り組むこと自体が幸福である。
 従来、教育や企業の現場において、課題と取り組む場合の姿勢が「本気であること」・「真剣であること」・「熱心であること」・「一生懸命であること」などが良い結果をもたらす要件であることやそのような状況を実現するための具体的な方法などについては幾度となく議論されてきたが、取り組むべき課題が心の底から求められているものであって初めてそのような姿勢が生まれるという重要な事実は不思議なほど問題にされてこなかった。
 言うまでもなく、行政の立場にある人間についても一般の住民についても、「個々の人間が実力を発揮するための前提条件」に大きな関心が払われない状況である限り、どのような優れた制度やシステムが具体的に提示されてもうまくいくとは考え難い。
 これらのことから、「多くの住民が心の底から望んでいることを施策の根幹に据える」という「地域経営において最も重要な前提」が容易に帰着される。
 また、多くの場合、「望ましいこと」が優先される社会は「望ましくないが必要なこと」が優先される社会より明るく、「望ましいもの」を得るための努力は「望ましくないが必要なもの」を得るための努力より快い。
 しかしながら、現実は「必要であるという根拠」が過度に重視されたり、「理想に向かう姿勢」が不当に軽視されたりして、しばしば向かうべき方向を誤りがちであるように思われる。

   2)「日本的なもの」と「日本的でないもの」
 1980年頃からであろうか、国際化の大波は大都市圏だけでなく地方にも押し寄せ、現在では日本人の誰もが国際化という現実に直面していると言っても過言ではない。
 このような状況において、我々が第一に求められることは「日本の常識」と「他国の常識」とは異なるという事実認識であり、そのためには当然、歴史・風土・文化・国民性・伝統・生活・風俗等を基軸とした「日本の理解」と「他国の理解」が必要である。
 そして、その次に求められることは数多くの「他国の常識」から成る「世界の常識」を確認し、それと「日本の常識」との折り合いをどのように付けるかを模索することである。
 特に、「日本の常識」を優先させるべき局面と「世界の常識」を優先させるべき局面を峻別する習慣やそれらを調和させるべき方策や戦略を確立することは喫緊の課題である。
 このような了解は、日本に限らず、世界の国々が国際社会で生き残っていくための根本的基盤であると思われるが、残念ながら日本の現状は必ずしもそうはなっていないように見受けられる。
 例えば、「地域」における企業経営やまちづくりにおいて、しばしば、「日本の理解」が著しく不十分なまま「他国の情報」が安易に持ち込まれることや「日本の常識」が優先されるべき局面で「他国の事例」が無神経に持ち出されることが珍しくないように思われるが、そのような場合は、少なくとも「地域」の住民を幸福にしない。
 セイダカアワダチソウやブラックバスによって日本の生態系がずたずたにされた苦い経験により「海外の動植物を無神経に持ち込む」ことについてはかなりの注意が払われるようになっているが、未だに「海外の情報を無神経に持ち込む」ことについては殆ど注意らしい注意が払われていない。
 また、これとは逆に「他国の常識」を弁えないまま外国に出掛け、「日本の常識」では考えられないような災難やトラブルに遭う日本人が後を絶たないが、そのような日本人が国際社会における日本人の評価を確実に低下させ日本の国益を損なっていることについて、マスコミの論調は妙に寛容である。
 何れの場合においても「郷に入ったら郷に従え」(When in Rome, do as the Romans do)というのは、科学がどうの情報がどうのという以前の常識であろう。
戦後の日本においては、一部の知識人や教育者が「日本的なもの」を理解し身に付けようとする努力を「反動的」としてヒステリックに排斥したこともあり、長らくそれがある種のタブーのように扱われてきた。
 そして、そのような風潮が「明治期の欧米コンプレックス」を陰湿に再燃させ、「欧米の事例を見習うべき根拠と妥当性」や「学ぶべき対象分野」に対する判断力を著しく低下させてきたように思われる。
 しかしながら、外国へ行った経験のある者なら誰でも、世界のどの国に行っても、「自国に対する深い愛情を示す」ことが常識であり「自国の自慢をし合う」ことがマナーですらあることはよく承知している。
 すなわち、「日本人であれば、日本をよく理解し、日本を愛し、日本を自慢できる」ことが「世界の常識」であり、そのような日本人が国際舞台で受け入れられるということである。
 このような意味において、国際化の大波の真っ直中で我々日本人が第一になすべきことは、「日本的なもの」と「日本的でないもの」を注意深く確認することであろう。
 特に、「地域」の「まちづくり」において、これまではともすれば「欧米的なまちづくりの手法」が過大評価され、「日本人に似つかわしいまちづくりの作法」が片隅に追い遣られていた感があるが、今後は「日本人の国民性」を強く意識した「まちづくり」がもっと真剣に追求されるべきであると思われる。

   3)「自分にできること」と「自分ではできないこと」
 現代の人間は、都市に住む者も農山村等に住む者も、大なり小なり「本来は自分でなすべきこと、あるいは、しようと思えば自分でできること」を他人や機械に委ねて生きている。
 しかし、都市は、産業面においても生活面においても、サービス業や文明の利器に依存せざるを得ない存在であるが、農山村等はそのようなものに依存することが寧ろ自身の存立基盤を脅かすことになりかねない。
 すなわち、農山村等に住む者は、都市に住む者以上に「自分にできること」と「自分にはできないこと」を峻別する姿勢が求められるということである。
 従って、大都市を除く「地域」の経営においては、常に、住民が「自分にできること」を安易に他に委ねないという前提を保持することが肝要である。
 また、「地域」の行政や住民が「自分にできること」を重視し始めると、そのことによって「望外とも言うべき大きな成果」が2つ得られることを忘れてはならない。
 一つは「創造的になる」ことである。
 言うまでもなく、「創造」はその大半が「自分にできること」更には「自分にしかできないこと」を追求した結果実現するものである。
 すなわち、「自分にできること」をしようとする意識が「創造」の源泉である。
 従って、そのような意識を持った住民の多い「地域」からは、素晴らしいアイデアや優れた発明の誕生する可能性が極めて高いということになる。
 ここで注意しなければならないことは、「学ぶ姿勢」は一見もっともらしく見えることが多いが、しばしば「創造」に向かう意欲や覚悟を蝕むということである。
 実際、他の「地域」の事例を学ぶことによって飛躍的に発展したという「地域」は、筆者の知る限り、皆無に等しい。
 今一つは「自信が生まれる」ことである。
 「自分にできること」を自分でするという実績を積み重ねることによって揺るぎない自信が築かれていくことは、古今東西を問わず、多くの先人の教えるところである。
 また、一つの自信が新たな自信を生み、それが更に新たな自信の原動力になるといった「この上なく望ましいサイクル」ができる例も決して珍しくない。
 逆に、「自分にできること」を他に委ねることが「自分の力」を過小評価することに繋がり、「自分にできること」を少なくしてしまう結果になることは確認しておかねばならない。
 特に、「自治」の前提が「自立」であり、「自立」の前提が「自信」であると見る限り、少なくとも、「自分にできること」を自分でするという姿勢無くして真の「自治」はあり得ないと思われる。


3.日本的基盤としての市民憲章

   1)地域経営の日本的基盤
 今後の日本の地域経営においては、具体的で現実的な「行財政に関わる目前の問題を解決するための議論」も十分になされる必要があるが、「行政や住民の長期にわたる揺るぎない努力を可能にする基盤」に対しても大きな関心が払われるべきである。
 そのような基盤を地域経営の「日本的基盤」と呼ぶならば、それは「日本人の体質に合った日本らしい基盤」でなければならない。
 その場合の主要な要素は、前章で示した視点から帰着されるものが3つある。
 第一の要素は「誰もが心の底から望ましいと思える目標を掲げる」ことである。
 そのような目標は、多くの場合、理想主義的な色彩が濃いものになるため、しばしば机上の空論として斥けられがちであるが、ここで「日本人は、本来、心を最も大切にする」(計画哲学的に表現すれば、「日本人は、本来、認識論的である」)ということを幾重にも確認しておかねばならない。
 すなわち、多くの局面において、日本人は計算や理屈では動かず「心」で動くということである。
 従って、日本の社会(特に、欧米化した大都市ではない「地域」)においては、「心」に響く目標を掲げない限り、どのように立派な論説を持ち出しても「人」は動かないのである。
 第二の要素は「日本にしかないもの、あるいは日本人にしかできないことを確認する」ことである。
 衣・食・住に関して国境らしい国境が消滅した感のある現代の日本において、「日本にしかないもの」を見付けることは思いの外難しいことであるが、少なくとも「日本語」・「天皇制」・「切腹」の3つは紛れもなく「日本にしかないもの」である。
 「日本語」について確認すべきことは、日本語は「和語」・「漢語」・「外来語」から成るが、最も古い独自の言語が「和語」(大和言葉)であるため、古来「心の表現」や「心と心のコミュニケーション」には「和語」が多用されるということである。
 例えば、「小倉百人一首」などの「和歌」は言うに及ばず、「大ヒットする流行歌の歌詞」や「JRの特急列車の愛称」などに「和語」が多用されていることはよく知られた事実である。
 「天皇制」について確認すべきことは、日本における「天皇」は本来「神(あるいは、天)の意思を人民に知らしめる役割を持つ特別な人間」であり、欧米における最高権力者(あるいは、統治者)としての「王」や「皇帝」とは大きく異なる存在であるということである。
 例えば、「みことのり」(詔)の本来の意味が「神に代わって神意を人民に告げる」ことであることは、そのような事情を明確に物語っている。
 また、「天皇」の起源が「神社」や「まつり」(祭り)の起源に重なることは、『古事記』が神話的内容を持つこととともに、日本人にとっての主要な常識の一つである。
 従って、少なくとも、「神社」や「祭り」について「天皇制」と無関係に語ることは極めて困難である。
 「切腹」について確認すべきことは、日本人が目標とすべき倫理的規範の多くは「武士道」として確立され、中でも「切腹」という独特の「死に方」(あるいは、「自らの強い意志による死」)がその中心に据えられていたということである。
 従って、「日本人はどのように死ぬべきか」を考える上において、「切腹」の事情や作法を知ることは大きな意味を持っていると考えられる。
 また、現在の日本においては「生命を最重視する」ことが不可侵な社会原則であるかのように喧伝されているが、少なくとも、日本人は「生き長らえることを無条件に肯定する」という思想を受け入れ難い伝統を持っていることを忘れてはならない。
 第三の要素は「行政も住民も、自分にできることは自分でしようとする」ことである。
 ここで重要なことは、行政も住民も「自分にできるはずのことを自分でしていないのではないか」という反省である。
 また、「自分にできることを自分でしない理由」ばかりがもっともらしく述べられ、「自分にできることを自分でしないことの得失」が真剣に検討されてこなかったのではないかという反省も必要であろう。
 特に、「自分にできることを自分でしないことの損失」については、経済の面からも、環境の面からも、健康の面からも、教育の面からも、具体的な見直しが求められていると思われる。
 一方、「自分ではできないこと」を無理に実現しようとした時から「破綻へ向かうシナリオ」が始まる可能性が高いということにも留意しなければならない。
 例えば、補助金頼みで「分不相応な箱物」を建てた自治体の多くが現在塗炭の苦しみに喘いでいることは、今更確認するまでもない事実である。
 これらの3つの要素は、実は「現在の日本人が再構築すべき精神的要素」の大半を占めるものでもあるが、「市民憲章」はそれらを全て併せ持っていると考えられるのである。
 「市民憲章」(「区民憲章」は含め、「町民憲章」と「村民憲章」は含めない)は、平成22年(2010)5月現在、809の都市のうち669の都市に制定されているが、認知度が高くないこともあり、これまでその「真価」が著しく過小評価されてきた。
 しかし、「第二次市民憲章ブーム」とも言われるここ十数年の間に、その存在意義は全国各地で急速に見直されつつある。
 「市民憲章」については、勿論「地域」の「まちづくり」における意義や役割も重要であるが、それと並んで、「日本を地方から変革していく際の精神的支柱」あるいは「日本および日本人を再認識する契機」としても大きな役割を果たしつつある。
 蓋し、明治維新の状況を思い起こしてみれば明らかなように、大きな変革期には「錦の御旗」とも言うべき絶対的な精神基盤に基づく国民的運動が展開されるものであるが、現在の日本においてそれに当たるものは、各地の「市民憲章」の推進活動の輪を全国に拡げるべき「市民憲章運動」であると思われる。

   2)日本の市民憲章の特徴
 日本の市民憲章について語る場合、まず始めに厳しく確認しておかねばならぬことがある。
 それは、日本の「市民憲章」と欧米の“citizen’s charter”とは似て非なるものであり、断じて同一視してはならない(註2)ということである。
 そもそも、日本の「憲章」は古代日本の「のり」の伝統(註3)に基づく「誓いの言葉」であり、欧米の“charter”はイギリスの「マグナ・カルタ」(1215)の“carta”と語源を同じくする「契約文書」である。
 すなわち、日本の「憲章」は本来「皆が声に出して唱え祈りを込めて誓うための合言葉」であり、欧米の“charter”は「権利や義務に関して想定されるトラブルの回避を主目的とする証拠書類」である。
 従って、日本の「憲章」においては「声に出して読みやすい」(更には、「声に出して読んだ時美しい」)ことが強く意識されるのに対し、欧米の“charter”においては「誤りなく理解される」(あるいは、「多くの人間によって同じように理解される」)ことが強く意識されることになる。
 ここで、形式的にも内容的にも、日本の市民憲章の模範となっている「京都市市民憲章」(1956)を取り上げて、日本の市民憲章の特徴を確認することにする。

【京都市市民憲章】[昭和31年5月3日告示]
わたくしたち京都市民は、国際文化観光都市の市民である誇りをもって、わたくしたちの京都を美しく豊かにするために、市民の守るべき規範として、ここにこの憲章を定めます。
この憲章は、わたくしたち市民が、他人に迷惑をかけないという自覚に立って、お互いに反省し、自分の行動を規律しようとするものです。
1 わたくしたち京都市民は、美しいまちをきずきましよう。
1 わたくしたち京都市民は、清潔な環境をつくりましよう。
1 わたくしたち京都市民は、良い風習をそだてましよう。
1 わたくしたち京都市民は、文化財の愛護につとめましよう。
1 わたくしたち京都市民は、旅行者をあたたかくむかえましよう。


 日本の市民憲章の本文(註4)は、「京都市市民憲章」と同様に、その大半が「簡潔である」・「肯定的表現である」・「和語が多用される」という3つの明確な特徴を持っている。
 ここで重要なことは、それらの特徴が具体的にどのような意味を持っているかということである。
 第一の特徴は「簡潔である」ことであるが、このことは2つの大きな意味を持っている。
 一つは「記憶し易い」ということであり、最近の脳科学でも「21文字説」(註5)が話題になったように、20文字前後の日本語が記憶し易いということは科学的に実証されつつある。
 今一つは「自由な想像が可能である」ということであり、「個々人の勝手な解釈を許さない」という法令の大前提とは対極をなしている。
 第二の特徴は「肯定的表現である」ことであるが、このことは「行動の目標が特定されるため迷い無く実行できる」ことを意味し、多くの場合は「良い結果」を想像することになる。
 これと逆に「否定的表現である」場合は、「してはならないことが分かってもなすべきことが分からない」ため、しばしば「してはならないはずの悪いこと」を想像することになる。
 第三の特徴は「和語が多用される」ことであるが、このことは「言葉が抵抗なく受け入れられ、そのまま心に届く」ことを意味する。
 因みに、「漢語」には「意味的な繋がりのない同音異義語」が少なくないため、法令の条文や学術論文のように「漢語の多い文章」は、耳から入った場合、正しく理解するための「保留時間」が必要になる。
 また、方言(殆ど例外なく「和語」)による会話が多くの場合「本音による温かいやりとり」になることからも分かるように、「和語の多い文章」を声に出したり聞いたりすると、日本人の「心」は開くのである。
 これらの3つの特徴により、市民憲章を声に出して唱えることにより、一人一人の市民が「その時、自分にできる良いこと」を思い浮かべることになるのである。

   3)地域における市民憲章の意義と役割
 近年、「地域」の行財政やまちづくりに関して「明るい話題」は極めて少ない。
 また、残念ながら、そのような閉塞的状況を打破しようとする地域活動が必ずしも望ましい成果を上げ得ていないように見受けられる。
 実際、全国各地の地域活動の実態を調べてみると、うまくいっている事例よりもうまくいっていない事例の方がはるかに多い。
 その場合、重要なことは「うまくいっていない事情にはいくつかの根本的な共通点がある」ということである。
 例えば、志を共有する住民が立派な目標を掲げて地域活動を始めても、なかなか活動の輪が広がらず長期的に継続しない。
 その理由として、しばしば行政の活動支援の薄いことが挙げられてきたため、最近では各地の自治体が競うかのように「市民活動の支援」を施策の上位に置くようになっているが、それで状況が好転するとは考え難い。
 何故ならば、従来の地域活動の多くが停滞したり頓挫したりしている原因が正しく把握されていないと思われるからである。
 そこで、改めてうまくいっていない地域活動の事例を観察してみると、原因の大半が3つの問題に帰着されることが分かる。
 第一の問題は、「時間的かつ経済的に余裕のある個人の情熱やエネルギー」を前提にした活動は一時的にはうまくいくが、多くの場合、適当な後継者が得られないことによって尻つぼみになるということである。
 このような事情も含め、地域活動が成功するためには「伝説的な人物」(あるいは「傑出したリーダー」)が不可欠であるという認識は、各地で見直されつつある。
 第二の問題は、活動の目的や内容が認知され始めるにつれて「活動の正当性の根拠(あるいは、客観的な妥当性)」が厳しく問われ始め、多くの住民の懐疑的視線に耐え得なくなるということである。
 そのような状況において特に問題になることは、「リーダーの献身性」・「政治的・宗教的・思想的中立性」・「グループの代表性」の3つである。
 特に、近年は各地で「一部の市民が市民の名の下に定めたルールが大多数の他の市民の行動を規定する」ことに対する疑問や反感が生まれ、「市民グループの代表性」が厳しく問われ始めている。
 第三の問題は、活動内容が「他の地域(あるいは、外国)の先例を踏襲するという前提」で規定される限り、早晩、活動がマンネリ化し自主的な活動意欲が低下するということである。
 特に、活動組織の本部が欧米にあるような地域活動は、「日本らしさ」と「地域らしさ」の両者を取り込んで独自の活動をすることが年毎に難しくなりつつあるように見受けられる。
 これらの3つの問題を超克し地域活動の支柱となり得るものは、現在の日本においては皆無に等しいが、ただ一つ「期待し得るもの」がある。
 それは、全国各地に制定されている「市民憲章」である。
 そして、今後の日本の地域経営および地域活動の永続性を担保し得るものは、市民憲章の推進活動である「市民憲章運動」(註6)である。
 蓋し、市民憲章は「地域の光」であり、「市民憲章運動」は「地域」の住民が底力を発揮し続ける源泉である。


(あとがき)

 大半の自治体において「明るいまち」が目標に掲げられているが、計画哲学的な考察によれば、市民憲章は「まち」を明るく伸びやかなものにし、自治基本条例は「まち」を暗く息苦しいものにする。
 また、計画哲学的に見た場合、客観性や合理性は、原理的に、人間の意欲や情熱を喚起し得ない(註7)。
 このような点からも、市民憲章および市民憲章運動は、今後の「望ましい地域経営のあり方」に少なからぬ影響を与えるものであると思われる。


[註]
(1)「地域」という概念は、「ある条件によって意味付けられる一定の土地あるいは空間」を示す概念であり、特に国の内外を意識したものではないが、例えば「地域開発」・「地域格差」・「地域社会」・「地域団体」・「地域住民」・「地域手当」・「地域冷暖房」といった用例の現実的な対象が示すように、多くの場合は、特定の外国地名等を付加しない限り「日本国内の一定の土地あるいは空間」を意味する日本語として了解されている。しかし、1990年頃から、「地域研究」という日本語が“Area Studies”という英語の翻訳語として用いられ始め、各地の大学の学科名・講座名・科目名等に相当数散見されるようになった。その結果、「地域」という言葉までが「日本人の一般的な了解から乖離した意味」で用いられることになった。因みに、この“Area Studies”という分野は、アメリカが冷戦後の世界戦略上の必要性から始めた積極的な海外情報の収集活動に学問的な装いを付与して誕生したものであり、主たる対象は東南アジア・中近東・アフリカ・南アメリカ・東ヨーロッパなどである。これに対して、「国内における都市や集落に関する研究」は日本においても「地域研究」として古くから行われているが、それを英語に翻訳する場合は“community studies”とされることが多い。このような事情があるためか、本来、「地域」と言えば済むところを、わざわざ意味内容の微妙な差異に目を瞑ってまで、「コミュニティ」と言い替えざるを得ないことが多くなっているように思われる。例えば、「地域政策」・「都市政策」・「コミュニティ政策」などの関係がどうなっているか、あるいは本稿のテーマに関しても、「地域経営」・「都市経営」・「コミュニティ経営」などの関係がどうなっているかを明快に示すことは極めて難しい。蓋し、不用意な(あるいは、無神経な)翻訳は、しばしば「正当な日本語」を不当に用い難くする。
(2)このような事情は、例えば「市民」と“citizen”についても「憲法」と“constitution”についても、安易な同一視が正しい理解を妨げるという意味において同様である。特に、聖徳太子が604年に制定した「十七条の憲法」の「憲法」と箕作麟祥が1870年代に“constitution”を翻訳した「憲法」とは全く別物である。前者は「いつくしきのり」と訓読されるのが通例であり、聖徳太子が日本古来の「のり」の伝統を踏まえて定めたものであると考えられる。
(3)「のり」は、律令制が導入される前の古代日本において最も本質的な意味を持つ法概念であり、例えば、憲・法・則・規・範・典などの漢字が当てられる。また、「いのり」・「のりと」・「みことのり」等の重要な和語を形成している。
(4)日本の市民憲章は、大半のものが地域の特徴や制定の経緯などを述べた「前文」と唱和の対象となる「本文」によって構成されており、「本文」の多くは5箇条の短文より成っている。
(5)元・北海道大学大学院医学研究科・医学部教授の沢口俊之氏が唱えた説で「携帯電話のメールでは、21文字を超えるとしっかり読まれなくなる」という。
(6)三輪真之、「市民憲章を見直そう」(上)(下)、[「まち・むら」106号・107号、2009、財団法人・あしたの日本を創る協会発行]
(7)三輪真之、『認識論的人間論序説』[2009、計画哲学研究所]、pp173-174

【注】本稿は、計画哲学研究所所長・三輪真之が平成22年の「UEDレポート」2010夏号(発行・財団法人 日本開発構想研究所
)に掲載した小論を転載したものである。 

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