「市民憲章」を見直そう

2009.12.30 

第1章 新時代の国民運動に向けて

1.何故、今、「市民憲章」か?
 五年ほど前からであろうか、全国各地で「市民憲章を基幹に据えたまちづくり」が急速に注目を集めつつある。
 その背景となっている事情は、地域によって多少の差はあるが、主として2つあると思われる。
 第一の事情は、「平成の大合併」に伴い、全国各地の都市で「新しい市民憲章」の制定が相次いだため、「第二次市民憲章ブーム」とも言うべき様相を呈し、一般市民の「市民憲章」自体に対する関心や認識が格段に高まってきているということである。
 例えば、Yahoo!で「市民憲章」の関連項目を検索した場合のヒット件数は、平成12年8月の時点で約三千であったが、平成21年6月現在では約八十四万に達している。
 また、筆者が平成15年1月に開設した「市民憲章情報サイト」は、地味なサイトであるにもかかわらず、アクセス数が年々増加して程なく五万になろうとしている。
 因みに、「第一次市民憲章ブーム」と言われる時期は1975年をピークとする前後20年を指し、年平均約25の都市で制定されていたが、2006年からの3年間は年平均約40の都市で制定されている。(【別表】参照)
 このような意味において、現在の日本は「市民憲章史上最高の隆盛期」を迎えていると言っても決して過言ではない。

【別表・市民憲章の制定状況】 (平成20年12月現在)
 
 一方、第二の事情は、旧来のコミュニティ活動や諸々の期待を担って発足したNPO活動の多くが「組織運営上の行き詰まり感」を見せ始めている中において、「市民による自主的なまちづくり活動の広範な連帯と展開」が切実に求められつつあることである。
 例えば、全国各地の町内会活動や自治会活動において、しばしば、「活動の輪が広がらない」・「活動の主体が老齢化している」・「活動の目的がはっきりしない」・「活動内容が形骸化している」といった声を耳にする。
 また、まちづくりや地域福祉に関するNPO組織の数は全国で八千とも一万とも言われているが、極一部の組織を除いては、「運営費の捻出」・「事務局の維持」・「主催事業の動員」・「メンバーの獲得」・「世代間の交流」等において四苦八苦しているのが実情である。
 現在、全国各地でこのような状況を超克するための現実的な基盤が模索されているが、その中心的な役割を担うものとして大きな期待を集め始めているのが「市民憲章」である。
 すなわち、「市民憲章」は、「個々人の思想や立場を超え、大多数の市民に承認されている」という点においても、「全ての市民のその時々の多様な善行意欲を喚起する」という点においても、「市民の善意に基づく自主的な活動」に対して「遍く包括的な基盤を与えることができる唯一の拠り所」であると言えよう。

2.「日本の市民憲章」の特徴
 「日本の市民憲章」については、存在の認知すら未だに十分ではない現状であると思われるので、その原型とされている「京都市市民憲章」を通して、特徴を確認しておきたい。

  【京都市市民憲章】(昭和31年5月3日制定) 
わたくしたち京都市民は、国際文化観光都市の市民である誇りをもって、わたくしたちの京都を美しく豊かにするために、市民の守るべき規範として、ここにこの憲章を定めます。 
この憲章は、わたくしたち市民が、他人に迷惑をかけないという自覚に立って、お互いに反省し、自分の行動を規律しようとするものです。 
 1 わたくしたち京都市民は、美しいまちをきずきましよう。 
 1 わたくしたち京都市民は、清潔な環境をつくりましよう。 
 1 わたくしたち京都市民は、良い風習をそだてましよう。 
 1 わたくしたち京都市民は、文化財の愛護につとめましよう。 
 1 わたくしたち京都市民は、旅行者をあたたかくむかえましよう。

 この「京都市市民憲章」は「日本初の市民憲章」として後続の市民憲章の形態や内容に大きな影響を与えたばかりでなく、「京都市市民憲章推進会議」を中心として半世紀にわたる地道な実践活動が推進されてきたという点においても他市の範となっている。
 「日本の市民憲章」の大半は、「京都市市民憲章」と同様、「都市の来歴や制定の目的等を述べた前文」と「市民の自主的な行動目標を誓う本文」から成り立っている。
 特に、「本文」の文言は、殆ど全てのものが、「声に出して唱える」ことを前提に策定されており、「簡潔である」・「和語が多用されている」・「肯定的表現である」という三つの大きな特徴を備えている。
 「簡潔である」ことについては、抽象的で実効性が無いという批判もあるが、寧ろ、「簡潔」であるからこそ、法律や条例などとは異なり、「市民」の「自由な想像」が可能であり、「市民」の「自発的な活動」を喚起するのである。
 「和語」は、「本来の日本語」であり、五千年を超える歴史を持っているため、日本人の心に素直に入ってくるだけでなく、日本人の心を奥底から動かす力がある。
 また、我々は、「行動目標」が肯定的に表現される時は、否定的に表現される時よりもはるかに真剣になり、本来の実力を発揮することができることを知っている。
 これらの三つの特徴により、「市民」は、老若男女を問わず、「市民憲章」を唱えることによって、「その時、自分にできる良いこと」を思い浮かべ、気持ちよく「良いこと」を実行することになるのである。

3.新時代の国民運動の柱となるもの
 現在、日本という国が「大変革の必要な時期」を迎えていることは衆目の一致するところであり、その潮流は明治維新以来の大きなうねりになりつつある。
 このような時代が、国民全般の幸福な生活を実現しつつ好ましい姿で進むためには、「新しい時代を築くべき草の根的な国民運動」の展開が求められる。
 そして、そのような国民運動には、偏った価値観や過激な思想とは無縁の「明るく健全な精神的支柱」が不可欠である。
 また、戦後の日本人の多くが「本来の日本人の有り様から外れた不快な社会的状況」に大きなストレスを強要され続けてきたことに鑑みれば、「新時代の国民運動の精神的支柱」は優れて日本的なものであることが望ましい。
 ここで特に重要な点は、要約すると、「人を信じる明るさを持つこと」と「無闇に理屈を捏ねないこと」に帰着すると考えられる。
 実際、現在の日本の社会は「人間不信」に満ち満ち、不都合なことを全て法律や制度で抑え込もうとするあまり、多くの国民が「明るさ」とは程遠い日々を過ごしている。
 また、日本の過去や現状に対する評論家的な言説が溢れ、前進を前提とした地道な実践の求められる局面での「不毛な議論」が少なくない。
 正直なところ、「一体何時から日本はこんなおぞましい国になってしまったのか」といった暗澹たる思いの国民は想像を絶した数に上るのではあるまいか。
 このように考え、改めて我々の回りを丁寧に見直してみた場合、一般の国民が日常的な生活を通し、最も頼むに足るものは「市民憲章」であり、その推進活動としての「市民憲章運動」こそが「日本らしい日本を地域から再建する源泉」になると思われるのである。


第2章 「市民憲章運動」の展開

1.「まち」を明るくするもの
 「市民憲章運動」が何故「日本らしい日本を地域から再建する源泉」になるのか?
 その最も深い根拠は「市民憲章はまちを明るくする」ということである。
 周知の如く、全国の「市民憲章」はもとより、総合計画や都市マスタープラン等においても、「まちづくり」の目標として「明るいまち」を掲げている例は極めて多い。
 しかしながら、驚くべきことに、「明るいまち」を目標としながら「人間や社会を暗くするもの」に基づいた施策を進めている例が少なくない。
 ここで特に重要なことは、「法律や条例は、時として必要なものではあるが、本来、人間や社会を暗くするものである」という認識である。
 そもそも、法律や条例は、圧倒的に多くのものが「社会的に不都合なことをする人間を念頭に置き、社会をより悪くしないために、強制事項や禁止事項を定めたもの」である。
 また、法律や条例は、国家権力に基づく強制力を背景としているため、「社会を悪くしない」ことについては一定の実効性が期待できるとしても、「社会を良くする」ことについては殆ど無力であり、多くの場合、社会を暗く重苦しいものにする。
 この間の事情は、例えば、中学校や高等学校で「校則」をいくら厳しくしても、せいぜい「悪いことをする生徒」が減るだけで「良いことをする生徒」は一向に増えず、結果として、校内から「明るさ」や「活気」が消えることを見れば明白である。
 従って、「明るいまち」を実現するためには、「悪いことをしたら罰則がある」といった脅迫的で重苦しい前提よりも、「良いことをしたら御褒美がある」といった希望的で伸びやかな前提の方がはるかに似つかわしい。
 蓋し、「明るいまち」の実現を目指すのであれば、法律や条例に過大な期待をせず、「市民憲章に基づいた自主的な活動の輪を拡げていく」ことが本質的に適切な方策である。

2.「市民憲章運動」のルーツと体質
 「市民憲章運動」は、現在では「日本の市民憲章の正しい意義や役割を理解し、それぞれの地域のまちづくりに関する実践的な活動を推進する運動」と認識されているが、その初期段階における活動内容や活動主体は、多くの地域において、「新生活運動」や「生活学校」と共通する部分が少なくない。
 戦後間もない頃に始まった「新生活運動」は、昭和30年代に当時の鳩山一郎首相の提唱によって全国的に拡大した国民運動であり、戦前から引き継いだ「負担や無駄の多い窮屈な生活習慣」を改め「伸び伸びとした明るい社会」の実現を目指したものである。
 また、昭和40年前後から全国各地の地域に誕生した「生活学校」は、「新生活運動」の組織を母胎とし、「住民の生活に関連した社会問題を住民自身の手によって解決する」ことを目標とした地域活動組織である。
 現在でも、例えば、群馬県高崎市などにおいては、「新生活運動」が社会教育の一環として推進されており、「生活学校」・「まちづくり運動」・「冠婚葬祭改善運動」の3つを主な活動内容としているが、他の大半の地域においては、「まちづくり運動」の比重が非常に大きくなり、「市民憲章運動」との区別が付き難くなりつつある。
 このような事情もあり、「市民憲章運動」は、多くの地域において、「身近な目標を重視する」・「個人的な信条に立ち入らない」・「罰則や強制を避ける」といった「新生活運動」の活動方針や「住民自身の活動によって問題を解決する」という「生活学校」の活動原則を「伝統的な体質」として受け継いでいる。

3.「3啓発・5活動・7実践」
 「市民憲章運動」は、既に半世紀を超える歴史があり、全国各地で特色の有る活動が積み重ねられてきているが、中でも、岩手県水沢市(現・奥州市)の活動は、「長年の活動経験を自ら厳しく検討し、活動の目的や方法を明快に結論付けた」という点において、「市民憲章運動」の歴史に特筆されるべきものである。
 水沢市においては、昭和39年11月に「市民憲章」が制定され、翌年に「市民憲章推進協議会」が発足した後、平成2年までの25年間、他市の模範とも言い得る推進活動が継続されたのであるが、関係者の強い意向によって「市民憲章運動検討委員会」が設置され、「市民憲章運動の望ましいあり方」が徹底的に追求された。
 その結果得られたのが、「3啓発・5活動・7実践」というスローガンである。
 「3啓発」とは、推進活動の前提的な啓発目標が「市民憲章の存在を知ること」・「市民憲章の意義と内容を理解すること」・「市民憲章の内容を実践すること」であり、「5活動」とは、主たる事業内容が「普及事業」・「提唱事業」・「先導事業」・「顕彰事業」・「助成事業」であり、「7実践」とは、推進活動の場は「市民個人」・「家庭」・「町内」・「地区」・「職場」・「団体」・「行政」のそれぞれにあるという意味であるが、20年近い年月を経た現在においても、全てそのまま通用すると思われる程見事なものである。

4.「市民憲章運動」の今日的課題
 「市民憲章運動」は、今後も「明るいまち」を求める人々の「善意」や「地域愛」によって息長く推進されていくものと思われるが、「第二次市民憲章ブーム」とも言われる現在の時代的背景を踏まえた場合、各地で早急に検討されるべき三つの重要な課題がある。
 第一の課題は、「個々別々に実施されているまちづくり活動について、組織の大同団結的な連携を提唱し、市民憲章運動が運営の中心的な役割を果たしていく」ことである。
 例えば、自治会活動・町内会活動・公民館活動などの他、商工会・体育協会・文化協会・ロータリークラブ・ライオンズクラブ・青年会議所などの活動は、従来から大なり小なり地域のまちづくりと深い関わりを持ってきたが、近年は、それらに加えて「まちづくり関連のNPO活動」・「企業の地域貢献活動」・「大学の地域連携活動」・「若者のボランティア活動」などが、その時々の現実的必要に応じた活動目標を見付け、新しい時代にマッチした複合的なまちづくり活動を模索している。
 しかしながら、これらの組織や活動が共通の話し合いの場を持ったり実施する事業を支援し合ったりする例は驚く程少ないのが実情である。
 このような状況にあって「それぞれの組織の独自性を認めた上で、まちを良くしようとする志を共有し、互いに支え合いながら実践活動を継続する」ためには「コーディネーター的組織」が求められるのであるが、そのような役割に最も相応しいのは、幅広い市民の支持が公的に担保されているという点において、例えば「市民憲章推進協議会」といった名称の「地域の市民憲章運動組織」である。
 第二の課題は、「行政との協働によって運動の運営基盤を安定させる」ことである。
 一般に、「事務局のスペース」・「会合場所」・「事務費」・「連絡手段」・「広報手段」など「運動組織の基本的運営に最低限必要な条件」は、その性質上、特定の個人や特定の企業によって供与されるべきものではないと考えられているため、市民からの会費や寄付で賄われたり行政から提供されたりしているが、各地で「先細り」の傾向が顕著であり、組織の維持や主催すべき事業に必要な費用の捻出に苦慮している運動組織が少なくない。
 そのため、例えば「まちづくりファンド」・「タウンマネージメント」・「企業の地域貢献」などに期待されてきたが、必ずしも長期的に好ましい結果が得られているとは言い難い。
 そうした中で、近年、「市民主体のまちづくり関連事業に寄与する制度」として一定の評価を得ている制度が「指定管理者制度」や「自主事業助成金制度」である。
 これらの制度の趣旨を「協働のまちづくり」という行政の目標に照らして再検討した場合、より発展させた先進的な方策として「行政が市民憲章運動の推進組織に市民主体のまちづくり活動関連の事業を包括的に委託する」ことが考えられる。
 このような考え方に近付くものとして、平成15年4月に制定された「高知市市民と行政のパートナーシップのまちづくり条例」(愛称・まちづくり一緒にやろうや条例)は、「従来の条例とは趣の異なった内容」とともに、その実施状況が注目されている。
 第三の課題は、「活動主体の世代的継承の方策を具体的に構築する」ことである。
 特に重要なポイントは「市民憲章運動の一環としてなされる実践活動に子供を一人でも多く参加させる」ことと「若者を運動組織の責任ある立場につける」ことである。
 前者については、従来も、校長会や教育委員会などの理解と協力を得て「市民憲章をテーマとしたポスター・絵画・作文・標語・習字などのコンクール」が催されてきたが、より直接的な参加の場として、「市民憲章に関する小中学校の特別授業」「市民憲章に関するイベントの子供用プログラム」などの推進されることが望ましい。
 後者については、例えば「志のバトンタッチ」を合言葉にして、「運動組織と青年団や青年会議所との交流機会を増やす」ことから始め、「主催する事業の企画や実施の責任者に若者を据える」ことが望ましい。
 以上に述べた三つの課題の解決に向けた努力は、何れも「市民憲章運動の展開」に直結したものとなり、全国各地の地域を根底から「明るいまち」にしていくことであろう。


結 び

 これからの日本において、「明るいまち」を実現するために求められるものは、「賢しらな評論」でも「勇ましい掛け声」でもなく、「人間の信頼関係を前提とし、肯定的目標を掲げた息の長い国民運動」である。
 そして、それぞれの地域において一人一人の市民が、「その時、自分にできる良いことを見付け、それを気持ち良く実行していく」ことが最も望ましい状況である。
 このような状況を「年齢・性別・職業・思想・信条・立場などの異なる数多くの市民」に無理なくもたらしてくれるものは、「市民憲章に基づくまちづくり運動」である。
 我々は、自らのまちを明るく住みよいものにするために、そして、日本の未来を活気に満ちた輝かしいものにするために、今こそ「市民憲章」を見直すべきである。


【注】本稿は、計画哲学研究所所長・三輪真之が平成21年の「まち・むら」106号・107号(発行・財団法人あしたの日本を創る協会、[TEL]03-3251-6681 [FAX]03-3251-6682 [E-mail]koho@ashita.or.jp)に連載した小論を転載したものである。 

TOPページへ

1