【市民憲章に関する基礎知識】

[テーマ一覧]
●「市民憲章運動」について ●市民憲章と「市民活動」 
●市民憲章の推進活動とNPO ●市民憲章の「演繹力」 ●市民憲章と「条例」 
●市民憲章と「総合計画」 ●市民憲章と「都市宣言」 ●市民憲章と「自治基本条例」 
●個性的な市民憲章  ●戦後初の市民憲章について  ●「市民憲章」以外の「憲章」 

●「市民憲章運動」について
 「日本の市民憲章」は、広島市の「市民道徳」(1950)、京都市の「京都市市民憲章」(1956)が制定されてから既に半世紀が経過し、平成20年(2008)4月の時点では、全国806の都市のうち655都市に制定されています。
 更に、同様の形式や内容を持った「町民憲章」や「村民憲章」も含めれば、日本の大半の市町村には「日本の市民憲章」が制定されていると言っても過言ではありません。
 しかしながら、「第二次市民憲章ブーム」とも言うべき近年は別として、従来は、必ずしも市民憲章の意義や役割が正しく理解されていたとは言い難い面があり、「市民憲章は制定されたものの、その精神を具現化すべき実践活動が殆どなされていない」といった例が少なからず見受けられました。
 このような状況の中で、「市民憲章の正しい意義や役割を啓発し、それぞれの地域における実践活動を着実に推進する社会運動」「市民憲章運動」と呼ばれ、都市によって相当な差はあるものの、数多くの人々の「善意」や「地域愛」によって息長く推進されてきました。

 この「市民憲章運動」の推進に関わる人々の全国大会は、「市民憲章運動推進全国大会」と称して、「全国市民憲章運動連絡協議会」(略称・全市憲)と開催市および開催市の市民憲章推進組織が主催し、昭和41年(1966)以来、以下の都市において、既に42回(1回は国鉄ストのため中止)開催されてきました。
 昭和41年(1966)[第1回]岡山県倉敷市、昭和42年(1967)[第2回]宮城県仙台市、昭和43年(1968)[第3回]愛知県豊橋市、昭和44年(1969)[第4回]秋田県秋田市、昭和45年(1970)[第5回]岐阜県高山市、昭和46年(1971)[第6回]広島県福山市、昭和47年(1972)[第7回]高知県高知市、昭和48年(1973)[第8回]北海道札幌市、昭和49年(1974)[第9回]山口県下松市、昭和50年(1975)[第10回]中止(東京)、昭和51年(1976)[第11回]沖縄県那覇市、昭和52年(1977)[第12回]茨城県水戸市、昭和53年(1978)[第13回]福島県会津若松市、昭和54年(1979)[第14回]千葉県成田市、昭和55年(1980)[第15回]北海道釧路市、昭和56年(1981)[第16回]青森県十和田市、昭和57年(1982)[第17回]石川県金沢市、昭和58年(1983)[第18回]山口県光市、昭和59年(1984)[第19回]静岡県沼津市、昭和60年(1985)[第20回]福井県福井市、昭和61年(1986)[第21回]岡山県津山市、昭和62年(1987)[第22回]茨城県勝田市、昭和63年(1988)[第23回]北海道函館市、平成元年(1989)[第24回]福岡県大牟田市、平成2年(1990)[第25回]栃木県宇都宮市、平成3年(1991)[第26回]香川県高松市、平成4年(1992)[第27回]岩手県水沢市、平成5年(1993)[第28回]静岡県富士市、平成6年(1994)[第29回]宮城県仙台市、平成7年(1995)[第30回]埼玉県所沢市、平成8年(1996)[第31回]岡山県倉敷市、平成9年(1997)[第32回]福岡県北九州市、平成10年(1998)[第33回]石川県七尾市、平成11年(1999)[第34回]愛知県豊田市、平成12年(2000)[第35回]北海道釧路市、平成13年(2001)[第36回]茨城県ひたちなか市、平成14年(2002)[第37回]秋田県秋田市、平成15年(2003)[第38回]沖縄県石垣市、平成16年(2004)[第39回]福岡県大牟田市、平成17年(2005)[第40回]徳島県徳島市、平成18年(2006)[第41回]岩手県花巻市、平成19年(2007)[第42回]岡山県倉敷市、平成20年(2008)[第43回]京都府福知山市、平成21年(2009)[第44回]山形県米沢市(予定)、
 また、「市民憲章運動推進全国大会」の冒頭においては、通例として、以下の「全国市民憲章運動連絡協議会唱和文」が唱和されますが、ここには「市民憲章運動」の主旨が明確に示されています。
 私たちは全国市民憲章運動の理想実現のため、次の3つの目標を掲げます。
1つ、私たちは明るく住みよいまちづくりを目指し、憲章運動を推進します。
1つ、私たちは人の和とふれあいの心を大切に、憲章運動を実践します。
1つ、私たちは地球環境と人類の幸せを念頭に、憲章運動を続けます。


 現在の日本において、人間の信頼関係を回復し、肯定的目標を持った社会運動を推進することは、全ての分野の源泉になるべき喫緊の課題であると思われます。
 このような意味において、日本の将来を明るいものにするためにも、「市民憲章運動」の輪がますます広くなることが望まれます。
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●市民憲章と「市民活動」
 近年、「市民活動」という言葉が広く用いられつつありますが、どのような活動を「市民活動」と呼ぶかについては、いろいろな考え方があります。
 一般的には、例えば「市民の自発的な意志に基づくこと」・「善意や良心を前提としていること」・「自主的な活動であること」・「ボランティアで運営されていること」・「営利を目的としないこと」・「公益性を持つこと」・「活動内容が公開されていること」・「特別な参加要件がないこと」などを条件とするのが共通の認識であるように思われます。
 「市民活動」の歴史を大まかに振り返ってみますと、最も古典的な市民活動は宗教的動機に基づく慈善活動や奉仕活動であり、「赤十字」・「救世軍」・「中央募金会」などの活動も当初はこれに類する活動であったと考えられます。
 また、近代から現代にわたって発生した市民活動は特定の政治思想に基づくある種の政治運動の色彩が濃く、「民衆運動」・「大衆運動」・「市民運動」・「住民運動」などと呼ばれていましたが、現在では、多くの場合、市民活動と政治運動との間には明確な一線が画されています。
 これらに対して、現代の市民活動は、宗教的な「教義」や政治的な「教条」の呪縛を超えたものであり、例えば、戦後の日本においては、「生活改善」・「困窮者支援」・「人権擁護」・「公害防止」・「自然保護」・「環境保全」・「生涯学習」・「まちづくり」・「地域福祉」といった一般市民の日常的生活と密接な関係を持つ問題が主要なテーマとして取り上げてられてきています。
 このような市民活動は、本来、個々人の発意に基づくある種の「自助活動」であり、狭義においては「個々の市民が喜びと共に元気になる」ことに意義があると考えられますが、現実の社会においては「数多くの市民が公益性のある共同作業に自主参加する」ことに重点が置かれています。
 ここで注意すべきことは、現代的な市民活動が社会的に果たすべき重要な役割に鑑み、一人でも多くの市民が市民活動に参加することを願うのであれば、実は「市民がどのような契機や事情で市民活動に参加するようになるのか」ということが最も重要な問題であるということです。
 しかしながら、従来、「市民の参加を前提とした各種の活動の事例や制度」については熱心に検討される反面、肝心の「市民の参加を喚起する哲学や方策」については殆ど関心が払われてこなかったと言っても過言ではありません。
 このような事情もあってか、全国各地の市民活動の実情を眺めてみますと、「数多くの市民が参加すれば素晴らしい成果が得られるはずの計画でありながら、実際は、ごく少数の市民しか参加しないため、到底成功とは言い難い結果に終わる」といった例が決して少なくありません。
 そこで、改めて「市民の参加を喚起するもの」について深く考えてみると、究極的に求められるものは「光」であることに思い至ります。
 すなわち、「光」が掲げられることによって「今まで見えなかったものが見える」ようになり、「本当に目を向けるべきものに目が向く」ようになります。
 最近、まちづくりの現場などで「気付き」というキーワードがしばしば取り上げられるのは、このような「市民参加の本質的始原に対する関心」を示す例に他なりません。
 そして、誰しも子供の頃にそうであったように、「新しい世界が広がる」ことによって「新しい活動の意志が生まれる」ことになります。
 この「光」にあたるものが「市民憲章」です。
 蓋し、「全国各地の市民憲章には現代の市民活動の主要なテーマが殆ど全て含まれている」ことからも、「市民憲章を唱えることによって身の回りがよく見えるようになる」ことからも、「市民憲章は現代的な市民活動の哲学的支柱」であると考えられます。
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●市民憲章の推進活動とNPO
 平成10年(1998)にNPO法(特定非営利活動促進法)が制定されたことによって、全国で数千にのぼると言われている「まちづくり」や「コミュニティ」関連のNPO(非営利団体、Non Profit Organization)は、それらの相当数が法人格を得ることになり、制度上あるいは形式上の整備は一挙に進みましたが、運営の実情は必ずしも芳しいものばかりではないように思われます。
 寧ろ、有力な支援母体を持つ一部のNPOを除き、それらの大半が「運営費の捻出」・「活動場所の確保」・「活動内容の広報」・「イベントの動員」・「メンバーの勧誘」等の現実的な課題を抱え、四苦八苦の状態であると言っても過言ではありません。
つまり、現在の日本における「まちづくり」や「コミュニティ」関連のNPOの多くは、個々の組織について発足趣旨の妥当性や活動内容の正当性が社会的認知を得てはいるものの、それぞれが分立したままある種の「手詰まり状態」にあるということです。
 このような状況を打破し、新たなNPO活動のモデルになると期待されるのが「市民憲章の推進活動との連携」です。
 これまでのNPO活動を振り返って見た場合、「まちづくり」や「コミュニティ」関連のNPOに限らず、組織相互の連携事例や合体事例が意外な程少ないようですが、その阻害要因としては、例えば「政治的立場の相異」・「宗教色に対する警戒感」・「独自性への固執」・「情報交換不足」・「メンバーの重複」といったことが挙げられます。
 しかしながら、市民憲章の推進活動においては、不文律に近い大前提として、例外なく「政治色無し」・「宗教色無し」・「営利色無し」が貫かれていますし、「皆で力を合わせて良いまちをつくる」という無私の精神が唯一の究極的規範とされています。
 従って、市民憲章の推進活動は、「まちづくり」や「コミュニティ」関連の全てのNPO活動を広く包容し、その大同団結的連合の基盤となることができます。
 このような意味における市民憲章の「敷衍性」は、市民憲章の推進活動と「まちづくり」や「コミュニティ」関連のNPO活動との広範な連携が、全国各地で今後ますます重要な意味を持ってくることを示唆していると考えられます。
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●市民憲章の「演繹力」
 平成18年(2006)には、全国で55の市民憲章が制定されましたが、これは昭和49年(1974)の49を超え市民憲章の制定史上で最多であり、現在は市民憲章に対する社会的関心が戦後の日本で最も高まっていると言っても過言ではありません。
 また、昭和49年当時と比べ、現在は一般市民の「市民参加」や「まちづくり」に対する意識が急速に高まりつつあることもあって、「市民憲章の意義や役割」についての理解は数段深まっているように思われます。
 しかしながら、過去50年を超える全国各地の推進活動を具に振り返ってみますと、必ずしも多数の市民の支持と協力を得て活発かつ広範に展開されてきたとは言い難い現状です。
 その最大の理由として多方面からしばしば指摘されてきたことは「市民憲章は抽象的で当たり前のことしか書かれていないため実効性が認められない」ということですが、そこでは極めて重要な点が見落とされており、市民憲章の意義や役割が正しく理解されるためにも、今後の推進活動が好ましい形で進められていく上においても、しっかり確認しておかねばなりません。
 それは市民憲章の「演繹力」が軽視されているということです。
 現在の日本の社会においては、「数多くの事例や情報を分析して適切な結論を導き出す」という意味における「帰納力」が、学問の世界においても行政の現場においても、場合によっては日常生活においても、異様に重視されているように思われます。
 そして、その反面、「原理や真理を適用して現実になすべきことを見出す」という意味における「演繹力」が徒に過小評価されているように思われます。
 しかし、ここで「市民が自らの意志で積極的に行動しようとする場合に必要なのは帰納力ではなく演繹力である」ということに充分注意しなければなりません。
 実際、一般市民にとっては、膨大な資料や高邁な学説を示されても、それを根拠にして行動を開始することは非常に難しいのに対し、抵抗なく受け入れられる簡潔な命題を念頭に置き、自分の力で考え自分にできる行動を実行することは比較的易しいと思われます。
 このように見てきますと、「市民憲章は、大多数の市民が妥当であると認め得る事柄が抽象的かつ簡潔に示されているからこそ、市民一人一人に、各人各様の自発的な行動を保証している」ことが分かります。
 蓋し、市民憲章の「演繹力」は、各地の市民に自発的な行動を促すばかりでなく、現在の日本に根源的な活力を与えるものと期待されます。
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●市民憲章と「条例」
 近年、自治条例・参加条例・まちづくり条例・都市景観条例・土地利用条例といったまちづくり関係の「条例」が各地で制定され、しばしば市民憲章と混同されているように見受けられますが、これらは制定趣旨も内容も大きく異なります。
 特に重要なことは、「条例は地方公共団体が自主的に制定するものとは言え、あくまでも議会の議決などによって決定される法規である」のに対し、市民憲章は「日本古来の『のり』(憲・法・規・則・範・教・・・・)の伝統に則ったものであり、中国的あるいは西欧的な法律の性格は持たない」ということです。すなわち、条例は法律として扱われるべきものであり、市民憲章は法律として扱われるべきものではありません。
 このような本質的な違いは、現実的な2つの著しい違いをもたらしています。
 一つは、「条例は適用対象を厳格に規定する必要があるため、固くくどいものになる」のに対し、「市民憲章は市民の志を述べるものであるため、分かり易くきびきびしたものになる」いうことです。従って、どうしても、多くの市民にとって、条例は親しみ難く、市民憲章は親しみ易いということになります。
 今一つは、「条例は起き得る悪いことを想定しているため、市民がやってはならぬことに主眼が置かれている」のに対し、「市民憲章は実現したい良いことを想定しているため、市民が進んでやるべきことに主眼が置かれている」ということです。従って、条例には強制力や罰則といった法的実効性が求められるのに対し、市民憲章には共感に基づいた自発的行動意欲の喚起が期待されることになります。
 これらの違いは、本来「法律」と「憲章」の違いとして根本的に明らかにされるべきことであると考えられますが、これまで、ともすれば欧米の「charter」の法律的な性格が軽視されたまま「憲章」と翻訳されることが少なくなかったため、誤解や混同が起きているものと思われます。
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●市民憲章と「総合計画」
 土地利用計画を中心的内容とする国土計画は、その対象となる行政区域により、「全国総合開発計画」(全総・新全総・三全総・四全総・21世紀の国土のグランドデザイン)、国土利用計画法第7条による「都道府県計画」、同第9条による「(都道府県の)土地利用基本計画」、同第8条による「市町村計画」などが階層的に定められており、それぞれ前者の計画が「上位計画」と呼ばれ後者の計画の内容を規定しています。更に、都市計画に関わる計画については、都道府県の定める「都市計画区域の整備、開発又は保全の方針」(整開保)や地方自治法第2条第4項による「(市町村の)基本構想」が、都市計画法第18条の2による「(市町村の都市計画の)基本方針」を規定しています。
 それぞれの市町村では、これらと一部重なり合う形で、全ての計画の基になる「総合計画」(「基本構想」・「基本計画」・「実施計画」)、「都市マスタープラン」(基本方針・将来像・全体構想・地区別構想)、「地区計画」などが、やはり階層的に定められています。
 従って、市町村の「まちづくり」に関わる最上位の規定は「総合計画」ということになりますが、しばしば市民憲章と「総合計画」の関係が大きな問題になります。
 ここで最も重要なことは、市民憲章には想定期間が無いのに対し、「総合計画」には通常25〜30年の想定期間があるということです。このことは、市民憲章は余程のことが無い限り改定されないのに対し、「総合計画」は社会情勢等の変化に伴い適宜改定されることを意味しますから、市民憲章では心の支えとなり続け得る半永久的な理想が示され、「総合計画」では実現を前提とした現実的な施策が示されるのが自然であるということになります。
 よって、少なくとも、市民憲章と「総合計画」の内容に短期的整合性を求めることは妥当ではないと考えられます。何故ならば、「本当は(市民憲章に従って)そうしたいけれど、ここしばらくは(「総合計画」に従って)こうしなければならない」ということが十分あり得るからです。
 このようなことから、「総合計画」の内容や結果は、常々、市民憲章に則って検討されることが望ましいと考えられます。
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●市民憲章と「都市宣言」
 各都市に制定されている市民憲章とよく似たものと思われがちなものの一つに「都市宣言」があります。代表的な都市宣言としては、例えば「交通安全都市宣言」・「平和都市宣言」・「非核都市宣言」・「男女平等参画都市宣言」・「暴力追放都市宣言」・「防犯都市宣言」・「スポーツ都市宣言」・「健康都市宣言」などが挙げられます。
 確かに、市民憲章も都市宣言も、都市のシンボルのように扱われたり、都市の基本的な計画の理念的基盤とされたりする点では似ているかもしれませんが、市民憲章は「制定後の推進運動を通して市民参加のまちづくりの総合的な根拠になり続ける」ものであるのに対し、都市宣言は「その時々の社会状況を反映した特定の思想や姿勢を都市の内外に表明する」ものであるため、少なくとも次の4点において決定的に異なると考えられます。
 すなわち、第一は「制定主旨の継続性」です。市民憲章は後続する運動を喚起するという意味において寧ろ制定してから大きな意味を持ち続けますが、都市宣言はその時に宣言してそれで終わりということになりがちです。第二は「包括理念の総合性」です。市民憲章は何箇条かで表現されることが多く努力目標が多面的に示されますが、都市宣言は限られた単一の関心事項に対する見解が中心になっています。第三は「意義の有効期間」です。市民憲章は制定された時点から半永久的に市民の行動規範になることを原則としていますが、都市宣言は社会情勢や世論の変化に伴い急速にその意義の薄れることが少なくありません。第四は「意識されている受け手」です。市民憲章は例外なくその都市の市民だけを情報の受け手として意識していますが、都市宣言にはしばしばその都市を超えた国や世界を意識しているとしか思えないものがあります。
 このように、市民憲章と都市宣言は質の異なるものですから、制定すべき目的と内容によってどちらの形式が採択されるべきかが決まると考えられます。
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●市民憲章と「自治基本条例」
 東京都文京区(企画政策部新公共経営担当課)では、平成16年1月現在、「自治基本条例」を「文京区区民憲章」という名称で策定すべく検討中で、東京大学の森田朗教授・斎藤誠助教授[法学]を中心とした「文の京」の区民憲章を考える区民会議が継続的に開催されています。
 地方分権の時代を迎え、このような動きが各地で出始めていますが、自治体運営の原則や約束事を明文化するという趣旨の内容のものが「憲章」という名称で制定されたことは、少なくともこれまでは日本に前例がありません。30年程前に神奈川県川崎市で同様の趣旨の「都市憲章」案(1973)[山口道昭氏のHP参照]が市議会に提出されましたが、非常に立派な内容であったにもかかわらず否決されました。この理由についてはいろいろな見方があると思いますが、私は「条例として制定すべき西欧的な内容を日本的な憲章として制定しようとしたことによる感覚的な違和感」があったためであろうと推測しています。
 従って、東京都文京区の場合に限らず、「楽しくもないし、親しみも感じられない準法令的規定」を「憲章」として制定しようとする試みは、多くの日本人の支持を得難いように思われます。
 これに対して、東京都中野区では、平成14年9月の第三回定例区議会で藤本やすたみ議員[民主クラブ]から区民憲章制定についての質問が出され、田中大輔区長が基本構想との関係を視野に入れ前向きに検討するとの答弁をしていますが、こちらは区民の地域愛を重視した「日本の市民憲章」が意図されているようですから、発意から制定に至る過程自体が区民参加のまちづくりとして好ましく機能するものと思われます。
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●個性的な市民憲章
 「日本の市民憲章」は、欧米から入ってきた「憲章」(charter)という概念を母胎にしている面が無いとは言えませんが、日本独自の形式と内容を持っており、多くの場合、簡潔で親しみ易く、象徴的であり、理想的であり、文学的であり、誓約的です。
 形式については、大半のものが、周辺の自然環境・市の地理・歴史・誇るべき点・制定の事情・市民憲章の意義などを簡明にまとめた「前文」(序文・まえがき)と五箇条の箇条書きでまちづくりや生活の目標を述べた「本文」(主文)によって構成されていますが、中には、形式に囚われないユニークなものもあります。
 ここで、個性的な市民憲章をいくつか紹介したいと思います。

  【北上市民憲章】[平成4年1月5日制定]
あの高嶺
鬼すむ誇り
その瀬音
久遠の賛歌
この大地
燃えたついのち
ここは 北上

  【交野市民憲章】[昭和56年11月3日制定]
交野は、古くから多くの人々に愛されてきました。
私たちは、このまちの良さをいかしつつ、さらによりよい交野を求めて、 ここに市民憲章を定めます。
   (自然と・文化と・人と)

  【天竜市民憲章】[昭和63年9月21日制定]
わたくしたち天竜市民は、一人ひとりが志を立て、これを実現するため、この憲章を定めます。
   愛そう 家族・仲間・この私
   生きよう 夢・未来・この瞬間
   守ろう 健康・安全・この自然
   育てよう 産業・文化・この郷土
   翔たこう 日本・世界・この時代

  【(新潟)市民憲章】[平成元年4月1日制定]
信濃、阿賀野のゆたかな川の流れが海にそそぎいるところ、ここがわたしたちのまち新潟。
日本海に沈む夕日が美しい。海のかなたの国ぐににむけて開かれたこの港まちは、流れのほとりの木のように、いよいよ育ち、栄えている。人びとは、昔から、力を合わせ、ねばり強く、この自由な開かれたまちを築いてきた。
さあ、わたしたちも、いま、たしかな一歩を踏み出そう。わたしたちが望む新潟をめざして!
  ゆたかな海の幸と田畑のみのり。
  新潟は、自然がいかされ、まもられるまち。
  働くよろこび、憩いの静けさ。
  新潟は、活気にあふれ、落ちつきのあるまち。
  すこやかな生活は、わたしたちすべての願い。
  新潟は、みんなで生きるために、助け合うまち。
  はぐくむ心が、いのちを育てる。
  新潟は、一人ひとりが大切にされ、いかされるまち。
海のむこうは、友となる国ぐに。
わたしたちは、世界の平和のかけ橋となる。

  【米子市市民憲章】[平成13年1月1日制定]
悠久の時代(とき)を経て、豊潤なこの地に住まい続ける我ら米子の民。文化をはぐくみ、生業(なりわい)に励み、すべての健やかなることを望みながら。いま新しき世紀の始まりに当たり、その永久(とこしえ)なることを願って、我らの想いを市民憲章として掲げる。
  春の米子は つつじの花 青い空 緑の大地 薫る風
  私たちが守り続けていくもの
  夏の米子は がいな祭 街は華やかに活気づき 人と人 心と心がふれあえる
  秋の米子は 皆生の湯 心を癒し 体も健やかに それが私たちの願い
  冬の米子は コハクチョウ 昨日より今日 今日より明日を見つめ 豊かな未来への翔き
  四季に織り成すふるさとの生命(いのち)を すべていとおしみ みんなでつくる「がいな米子」
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●戦後初の市民憲章について
 「日本の市民憲章」で戦後初のものがどれかについてはいくつかの見解があります。
 例えば、時期だけを問題にすれば、昭和21年(1946)11月に制定された山口県の「(萩市)市民憲章」、次が昭和22年(1947)11月に制定された島根県の「出雲市憲章」ということになります。

  【(萩市)市民憲章】
  一、至誠公明は天地を動かす 以って道義と革新に奮起しよう
  一、博愛正義は中外に通ずる 以って自由と平和に貢献しよう
  一、和衷協同は市民を結ぶ 以って文化と産業を振興しよう

  【出雲市憲章】
  一、封建性を捨てお互いの人格を尊重しよう
  一、時間を守り無駄をはぶき仕事の能率をあげよう
  一、健康で教養をたかめ科学的な文化生活を営もう

 しかし、萩市の場合は口語体の憲章としては若干無理なところがある点で、出雲市の場合は内容も体裁も異なる市民憲章が別に制定されている点で、それぞれ戦後初のものとは認め難いように思われます。
 また、「市民憲章」という名称や日本独特の表現形式を重視すれば、昭和31年(1956)5月に制定された京都市のものということになります。実際、京都市は公式に、京都市市民憲章が日本初の市民憲章であるという立場を採っていますし、これが最も客観的な見解であろうと思われます。

  【京都市市民憲章】
わたくしたち京都市民は,国際文化観光都市の市民である誇をもつて,わたくしたちの京都を美しく豊かにするために,市民の守るべき規範として,ここにこの憲章を定めます。
この憲章は,わたくしたち市民が,他人に迷惑をかけないという自覚に立つて,お互い反省し,自分の行動を規律しようとするものであります。
  1 わたくしたち京都市民は,美しいまちをきずきましよう。
  1 わたくしたち京都市民は,清潔な環境をつくりましよう。
  1 わたくしたち京都市民は,良い風習をそだてましよう。
  1 わたくしたち京都市民は,文化財の愛護につとめましよう。
  1 わたくしたち京都市民は,旅行者をあたたかくむかえましよう。

 これらの見解は充分承知していますが、私は、昭和25年(1950)4月に制定された広島市の「市民道徳」を戦後初の市民憲章であると考えています。
 その大きな理由は、戦後復興の苦労が最も大きかったと思われる広島市民の心や願いが飾り気のない本音の表現で示されていると感じられることです。
 「日本の市民憲章」が市民の心の象徴であると考える限り、戦後初の市民憲章は広島市の「市民道徳」であると思います。

  【(広島市)市民道徳】
強い信念をもって平和のためにつくしましょう。
正直で謙虚な市民になりましょう。
思うことを正しく言える市民になりましょう。
言葉は静かに愛想よくいたしましょう。
他人の私事についてよくないうわさをすることはやめましょう。
会合の時間はきちんと守りましょう。
交通規則を守り老幼婦女子に席をゆずりましょう。
公園や道路に紙くずやきたない物をすてないようにいたしましょう。
草木鳥獣を愛しましょう。
服装を正しく胸を張り大手をふって歩きましょう。
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●「市民憲章」以外の「憲章」
 日本には日本独自の内容と形態を持った「憲章」が、「市民憲章」以外にもいろいろあります。
 数が圧倒的に多いのは「市民憲章」とほぼ同様のものと見られる「区民憲章」・「町民憲章」・「村民憲章」です。「県民憲章」は長寿・福祉などの特別な目的を明示したものがいくつかあります。
 都市が制定している「市民憲章」以外の「憲章」としては、例えば、「老人・高齢者」に関するものが東京都三鷹市(1972)・小平市(1976)・日野市(1982)・東大和市(1990)・東京都昭島市(1994)・小金井市(1994)・保谷市(1994)、島根県出雲市(1990)、群馬県富岡市(1992)・前橋市(1994)・安中市(1997)、大阪府大阪市(1992)・枚方市(1992)、愛媛県新居浜市(1992)、京都府城陽市(1993)、福岡県中間市(1993)・八女市(1994)・山田市(1995)・久留米市(1996)、愛知県半田市(1994)、北海道深川市(1999)、「長寿」に関するものが愛知県日進市(1996)、島根県益田市(1996)、北海道小樽市(1998)、「福祉・健康」に関するものが徳島県小松島市(1971)、奈良県奈良市(1972)、神奈川県座間市(1974)、埼玉県越谷市(1999)、「環境・景観」に関するものが宮城県仙台市(1970)、東京都武蔵野市(1973)、愛知県津島市(1981)、「子ども」に関するものが東京都町田市(1996)、埼玉県越谷市(1998)・志木市(2000)・戸田市(2001)・北本市(2001)・八潮市(2002)、北海道稚内市(1998)、千葉県八千代市(2001)、「女性・男女平等」に関するものが福岡県久留米市(1988)、東京都三鷹市(1988)、神奈川県相模原市(1992)、「教育」に関するものが栃木県黒磯市(2000)などで制定されています。
また、環境関係の憲章については、平成三年(1991)四月に経団連から「地球環境憲章」が発表されて以降、松下・オムロン・京セラ・サッポロビール・NEC(1991)、トヨタ(1992)・富士通・クボタ・オリンパス・マツダ(1992)、日清紡・TDK・日野・大昭和製紙・日本製紙(1993)、戸田建設(1994)、三菱商事(1996)など多数の企業で同様の憲章が制定されています。
 その他の注目すべき憲章としては、例えば、建築家憲章[日本建築家協会](1981)、JIAまちづくり憲章[日本建築家協会](1999)、名古屋大学学術憲章(2000)、九州大学教育憲章(2000)といったものががあります。
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